通説編第3巻 第5編 「大函館」その光と影 |
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第2章 20万都市への飛躍とその現実 第7節 都市の生活と新しい文化 7 マスメディアの隆盛と新聞人 戦時体制下の新聞 |
戦時体制下の新聞 P970 昭和10年代に入ると、政府は国論を統一するために10年11月、国策をたてに新聞連合社の事業を引き継いで同盟通信社を設立、翌11年6月には日本電報通信社を合併し、2大通信社を一本化した。さらに内閣に情報委員会を設け、情報一元化の一層の強化を図った。この情報委員会は、15年には内閣情報局となり、敗戦まで情報や啓発宣伝の統一のための機構として言論界に強い影響を与えた。続いて16年1月11日には「新聞紙等掲載制限令」(勅令)を公布、官庁の機密や軍事上の秘密事項などの掲載が禁止され(第2条)、内閣総理大臣の掲載制限や禁止の権限が明文化された(第3条)。一方、新聞業界はこの新体制の言論統制に対抗するため、自主的に新しい体制を作ることになり、16年5月28日社団法人新聞連盟を設立した。この新聞連盟は、一方的に政府から統制される前に、自ら積極的に政府の統制に関与していこうという自主的統制機関だった(5月5日付「函新」)。この新聞連盟がおこなった事業には、用紙割り当ての具体化への協力と、全国一斉共同輸送、共同配達そして共同集金をする新聞共販制の実施(16年12月から実施、函館では鶴岡町に共同販売所設置)、それに新聞統合に関する政府諮問への答申などがあった。 新聞統制の具体化については、16年9月の新聞連盟への諮問により政府の1県1紙への意向が示され、同年12月13日の国策のための統制団体の設立を命じた「新聞事業令」(勅令)公布で公然化され、翌17年2月の特殊法人日本新聞会の設立によって最終段階に入っていた1県1紙への統合が実現されたのである(内川芳美「太平洋戦争下の言論報道」『昭和ニュース事典』所収)。 |
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