通説編第3巻 第5編 「大函館」その光と影 |
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第2章 20万都市への飛躍とその現実 第7節 都市の生活と新しい文化 7 マスメディアの隆盛と新聞人 各紙の値上げ |
各紙の値上げ P954−P955 第1次世界大戦による用紙不足は各紙へも影響し、購読料の値上げや段数の増加を招いた。大正7年5月22日札幌で開催された北海道新聞協会の臨時総会では、用紙および諸材料の暴騰を理由に、協会加入新聞の値上げ(6月1日以降、4面新聞金10銭以上、8面新聞金15銭以上)を決議した(5月23日付「函日」)。これにより、函新・函日・北海は6月より市内1か月30銭へ、函毎は7月から55銭へと値上げした。前年の6年10月に協会加入各社は4面紙3銭以内、8面紙5銭以内の値上げをしたばかりだった。この時期になると値上げは新聞協会の決議にもとづき加盟各社、全道一斉に行われている。その後の加盟各社の値上げは、8年8月1日から1か月5銭以上(函館は9月から函毎60銭、函新・函日・北海35銭へ)、翌9年1月1日から4面新聞5銭以上、8面新聞10銭以上(1月から函毎75銭、函新・函日・北海50銭へ)、同年8月1日以降任意で4面新聞10銭以内、8面新聞20銭以内(7月から函毎90銭、函新・函日・北海60銭へ)の値上げと毎年続けられた。物価騰貴はその後も続いたが、用紙は11年1月より1割の値下げとなり、呼応して函新は55銭へ、函日は50銭へと値下げした。用紙不足を理由に続いた新聞購読料の値上げも一時ストップした。 函日が8ポイント半の活字を使い1面10段制を採用したことは、従来9段制だった函館の新聞界では画期的なことだった。函毎も同じく7年4月7日の夕刊から紙面を16字詰10段へと改良した。この増段は用紙節減と収入の増加をねらったもので、全国的に行われており、東京・大阪では6年9月に10段へ変更という一大改革がなされ、さらに11段へと移行しようとしていた(7年6月18日付「函日」)。函日・函新・函毎の3紙も7年中には11段制に切り替え、さらに函日は、翌8年3月20日には12段制になった。 |
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