通説編第3巻 第5編 「大函館」その光と影 |
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第2章 20万都市への飛躍とその現実 第7節 都市の生活と新しい文化 7 マスメディアの隆盛と新聞人 新聞人の団結 |
新聞人の団結 P947−P950 大正元年末から翌2年にかけ憲政擁護運動が全国的に展開したが、この運動で多くの新聞社と新聞人が団結しその陣頭にたった。大正2年1月17日、憲政擁護藩閥打破を目的に東京で開催された全国記者大会では、「筆政に任ずる者」として、憲政の危機に際し、「大正維新の魁となり、以て憲政擁護議院督励、閥族掃蕩の大任を全うせん」(1月19日付「函新」)ことを宣言した。この大会では北海道を代表して北タイの東武が演説をし、函館からは函館日(毎か)日新聞と北海道(北海か)新聞の記者が参加した(1月18日付「時事」『大正ニュース事典』所収)。この全国記者大会に同調するように各地の記者同志会も、憲政擁護・藩閥打破を目的に大会を開催、北海道でも同日、札幌記者倶楽部主催の道民大会・政談演説会と同時に、北海道記者大会が開かれた。座長を阿部字之八(北タイ)が務めた同大会では、「吾徒は爰に帝国憲法の威信を保ち、国家の進運と皇室の尊栄と而して同胞の福祉のために、健全なる民論を鼓吹し、誓つて横暴なる閥族の徒を掃蕩し、憲政擁護の実を挙げ、以て筆政の責務を完うせん事を期す」という宣言を可決、以後毎年1回全道記者大会を開催することなどを決議した(1月18日付「函新」)。これが全道記者大会の第1回で、以後毎年会場を各地に移動して開催され、第2回は旭川、第3回小樽、第4回札幌、第5回目が函館での開催となった。 大正6年8月11日、公会堂を会場に開催された函館大会には、40余名が出席、工藤函毎主筆を座長に議事が進められ、本道鉄道の速やかなる敷設を政府当局に働き掛けることを宣言している(8月11日付同前)。各年記者大会の決議事項は、表2−210のとおりである。なおこの大会終了後、函館にも記者倶楽部が結成された。9月24日開催された発会式には、函毎、北海、函新のほか、北タイや小樽毎夕などの支局あるいは北海商報、函館商報などの業界紙の記者も出席し、規約と月番幹事などを決めている(9月25日付同前)。 新聞経営者団体の「日本新聞協会」も大正2年4月に発足した。各地の新聞社、通信社、新聞広告代理店業者が中心となって結成されたこの会は、専ら会員相互の親睦を旨とし、その発達を図ることを目的とした団体だった。 日露戦争終結そして大正の政変と続くこの時期、報道関係各社、通信社そして記者は、「筆政に任ずる者」として、親睦を深め、団結し、政府に対し物をいう団体となっている。これは報道機関としての新聞が認識されはじめ、記者自身にもその自覚ができてきたことを意味していたと思われる。
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