通説編第4巻 第6編 戦後の函館の歩み


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第1章 敗戦・占領、そして復興へ
第1節 連合国軍の函館進駐
1 占領軍の函館進駐

敗戦直前の有識者の考え

8.15の回想と記憶

アメリカ軍の進駐を前に

進駐軍心得懇談会の開催

連合軍進駐への心構え

函館署の注意事項

アメリカ軍の進駐開始

「教務日誌」にみる状況

アメリカ軍の上陸と駐屯施設

北海道進駐のアメリカ軍兵力

占領行政の開始と土地・建物の接収件数

司令部が置かれた五島軒

将兵の宿舎・函館水産専門学校

「衛生」部隊が入った共愛会館

一時接収のゴルフ場

8件残して接収解除

進駐アメリカ軍のその後

進駐アメリカ軍のその後   P62−P63

 北海道を最初に占領したアメリカ軍は、前述のように第八軍第九軍団第七七師団であったが、昭和21年2月、部隊主力はアメリカ本国に帰還し、かわって仙台から第一一空挺師団(ジョセフ・スイング少将)約7000名が配備され、札幌・函館・旭川に進駐した。

函館の護国神社を見学したアメリカ軍兵士(「道新旧蔵写真」)
 昭和22年2月の「長官事務引継書」は、この「連合軍の駐屯状況」を「北海道進駐の米軍部隊は、現在の処空挺第十一師団将兵約三〇〇〇名が札幌(真駒内を含む)、千歳、室蘭、函館等に駐屯して居り、その他軍政部、CIC、病院等約一〇〇〇名が主として札幌に駐屯して居る。空挺十一師に於ては、目下の処特異の訓練無く、主として内政の調査、或は又除雪、兵舎の建築等に重点を指向して居る様である」と記している。なお、前掲の「米国国立公文書館新館における占領期北海道の資料について」には、アメリカ側の資料に依拠した、昭和22年現在の北海道進駐部隊一覧表が掲載されている。それによれば、陸軍航空部隊が飛行場のある千歳を拠点としているほかは、陸上戦闘部隊・民間検閲・医療・衛生・軍需・通信関係諸部隊のほとんどは札幌に配置されている。唯一全道的に展開しているのは情報関係の特殊部隊であり、第三七地域CICの本部が札幌に、同準分遣隊Aは稚内、Bは旭川、Cは美幌、Dは釧路、Eは帯広、Fは函館にそれぞれ置かれている。函館には、この情報部分遣隊以外に、陸上戦闘部隊としての第一八七パラシュート・グライダー連隊第一大隊と輸送関係の函館RTO(フェリー)のみである。
 ついで24年4月、第一一空挺師団の撤退にともなって第七歩兵師団約7000名が北海道に進駐し、翌25年には朝鮮戦争に動員された。その留守部隊として配置されたのがオクラホマ第四五歩兵師団(州兵)である。26年4月25日、同師団1万5000名は輸送船ジェネラル・ゲーフィー号ほか4隻に分乗して室蘭・小樽の両港から上陸し、札幌・真駒内キャンプと千歳キャンプに駐屯した(北海道連絡調整事務局『執務月報』第63号)。この時、小樽港と室蘭港はアメリカ軍輸送船の入港に備えて軍用補給港に指定され、小樽港の指定が解除されたのは5月25日である(昭和28年版『北海道年鑑』)。このオクラホマ師団も朝鮮に派遣され、その交代として、27年1月、朝鮮の前線から第一騎兵師団約1万2000名が配置された。この部隊が最後まで北海道に駐留し、昭和29年11月に撤退した(千歳市編『千歳市と基地』平成10年版)。
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