通説編第4巻 第6編 戦後の函館の歩み |
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第1章 敗戦・占領、そして復興へ 将兵の宿舎・函館水産専門学校 |
将兵の宿舎・函館水産専門学校 P58 将兵の宿舎として校舎を接収された函館水産専門学校は、20年10月8日元の東川国民学校に移転した。校舎が返還されて復帰したのは22年1月5日のことである(昭和20年10月10日付け、22年1月6日付け「道新」)。この間、アメリカ軍の失火により、遠洋漁業科の川畑講堂が焼失した(昭和21年2月8日付け「道新」)。接収中の母校を見た卒業生や新入生は、「函館に参り、早速なつかしい母校のある港町に行つて見ましたら、こはいかに、あの校庭にいつも立つていたポールにアメリカの旗がひるがえつて居るではありませんか?そして校庭の真中には何か変な建物が建てられて居り(後程これがダンスホールであつた事が分りました)、奉置所(昔話になるかも知れませんが、天皇のお写真を格納するところ)の中では何かジャズ音楽が鳴り響いて居りました」、あるいは「十月中旬遠洋漁業科に入学すべく来函したら、東川の小学校に移転しており、何かの用事で学校の前を通つたら、校庭にはバラストがひかれ、アメリカ軍の戦車や大砲がずらりと並べられていた」、と回想している( 『北海道大学水産学部創起五十周年記念誌−親潮』)。同じく校舎を接収された庁立函館水産学校も、富岡町の弥生国民学校の3階に移転した(昭和20年10月28日付け「道新」)。 |
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