通説編第4巻 第6編 戦後の函館の歩み


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第1章 敗戦・占領、そして復興へ
第1節 連合国軍の函館進駐
1 占領軍の函館進駐

敗戦直前の有識者の考え

8.15の回想と記憶

アメリカ軍の進駐を前に

進駐軍心得懇談会の開催

連合軍進駐への心構え

函館署の注意事項

アメリカ軍の進駐開始

「教務日誌」にみる状況

アメリカ軍の上陸と駐屯施設

北海道進駐のアメリカ軍兵力

占領行政の開始と土地・建物の接収件数

司令部が置かれた五島軒

将兵の宿舎・函館水産専門学校

「衛生」部隊が入った共愛会館

一時接収のゴルフ場

8件残して接収解除

進駐アメリカ軍のその後

アメリカ軍の進駐を前に   P42-P43

 昭和20年8月15日の敗戦から、連合国軍を構成するアメリカ軍の北海道占領が始まる10月4日までの間、約1か月半ほどの間隔があった。北海道占領については、9月9日にアイケルバーガー第八軍司令官が、2個師団を10月5日頃北海道に進駐させる予定であると語ったというが、正式の通告は9月20日付けの第八軍司令部「覚書」である。この「覚書」では、函館が10月4日、小樽・札幌が10月5日、旭川が10月6日とされ、9月22日と25日には、大湊・青森を起点として函館・札幌・室蘭方面の偵察飛行がおこなわれた(江藤淳編『占領史録』下)。
 進駐前の8月24日にはアメリカ軍の輸送機が函館上空に飛来し、函館競馬場の上空で7色のパラシュートによる物資の投下をおこなった。それを回収した日本軍兵士の記憶によれば、物資はトラックに2台分あって、頑丈な木箱に漢字で「連合軍捕虜宛て」と書かれていたという(『北部第九五六三部隊戦友会三〇年の軌跡』)。9月1日にはアメリカ軍のB29機が函館上空に飛来、連合国軍俘虜向けの物資を投下している(昭和20年9月2日付け「道新」)。9月には、東北地方の各県にアメリカ軍部隊があいついで進駐、9月25日には青森県にアメリカ陸軍第八一歩兵師団が進駐したことで(前掲『占領史録』下)、アメリカ軍の北海道進駐も目前の事態となってきたのである。そこで、この間の函館市側の対応について述べておこう。
 日本の軍隊組織は解体のさなかであったために、行政側でその先頭に立って、治安と秩序の維持を担ったのは警察である。「北海道新聞」によると敗戦直後の8月17日、北海道庁警察部は、道民に対して流言の禁止と違反者の厳罰を強調し(昭和20年8月18日付け)、同19日、函館署の佐藤署長は「憶測が流言を飛ばす、清浄はみづからたもて」と市民に警告した(8月19日付け)。同21日には、函館署特高主任が「憶測がデマを生む」と語ると共に、「アメリカの兵隊が今日の昼までに上陸するらしい」「ソ連の軍艦が函館にはいつたさうだ」といった市内の流言を否定し、町会や隣組の回覧板に当局の指示事項以外のことが書かれていることを指摘して注意を喚起した(8月21日付け)。
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