通説編第4巻 第6編 戦後の函館の歩み


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第1章 敗戦・占領、そして復興へ
第1節 連合国軍の函館進駐
1 占領軍の函館進駐

敗戦直前の有識者の考え

8.15の回想と記憶

アメリカ軍の進駐を前に

進駐軍心得懇談会の開催

連合軍進駐への心構え

函館署の注意事項

アメリカ軍の進駐開始

「教務日誌」にみる状況

アメリカ軍の上陸と駐屯施設

北海道進駐のアメリカ軍兵力

占領行政の開始と土地・建物の接収件数

司令部が置かれた五島軒

将兵の宿舎・函館水産専門学校

「衛生」部隊が入った共愛会館

一時接収のゴルフ場

8件残して接収解除

進駐アメリカ軍のその後

アメリカ軍の上陸と駐屯施設   P53−P55

 さて、アメリカ軍進駐の具体的な状況は、「バーネル少将麾下 六千名到着 平穏裡に快速の進駐」の見出しで翌10月5日付けの「北海道新聞」に報じられた。 
 「本道進駐米陸軍第一陣−バーネル少将麾下第八軍第九軍団第七十七師六千名は予定の如く十月四日海路函館に到着、午前十時海岸町第二定温倉庫岸壁からH・H三〇六歩兵隊を先頭に上陸を開始、トラックに分乗してそれぞれ宿舎に向つた。一方東浜岸壁から機械重量物を揚陸したが、バーネル司令官は幕僚とともに司令部たる相生町五島軒に入つた」。
 この記事に続き、「軽快な武装 戦勝者の驕り微塵なし」の見出しでより具体的にアメリカ軍上陸の様子が述べられている。

 四日午前十時、上陸地点の海岸町定温倉庫岸壁前に上陸用舟艇が陸上信号兵の敏捷な合図によつて次次と接岸する。米兵は軽さうな小銃、深い鉄兜、大きなズツク一個といふ軽快な武装に身を固め碧眼を輝せながら本道上陸の第一歩を印した。兵員、軍需資材に交つて例のジープが軽快な音をたててその姿を現せば、待構へてゐた連絡将校が颯爽と飛び乗つてそのまま宿所の検分に出動する。接岸地点は最初一ヶ所の予定であつたが、舟艇から揚陸したブルトーザー(地均し機械)二台を動員して岸壁北側の浅瀬の地均し工事を開始し僅か一時間で完了、二ヶ所から上陸するスピーデーぶりである。上陸した兵士達の集合も、集合点呼の命令などなく、各自が舟艇から身軽に飛び降りて物資集積所に素早く集るところなど少しも形式にとらはれず気持ちがいい。チウインガムをかみ、煙草をふかせて宿所への出発を待つ兵士達の姿には戦勝者の驕つた態度は微塵もなく、軍服の右肩に刺繍された自由の女神≠ェ象徴するやうな親しさを感じさせられる。十時五十分頃、司令官バーネル少将が丸腰のまま舟艇から飛び降りるとそのまま兵士達の集合場所へ歩を運んで輸送指揮に当たり、米軍の進駐は万事スピーデーに終始、夥しい兵員は予て手配されていたトラツクに分乗してそれぞれ分宿所へ向つた。

バーネル司令官のスケッチ(本山まさな『戦時雑稿 百貨店は業種「丙」』)
 この記事を書いた北海道新聞の記者は、アメリカ軍の上陸作戦が極めてスピーディーにかつ臨機応変におこなわれ、しかも、兵士の行動が自発的で形式にとらわれない点に深い感銘を受けているようにみえる。それは、こうした要素をほとんど持ち合わせていなかった日本の軍隊組織に対する批判的意識の現れでもあった。なお、「自由の女神」は、第七七師団の隊章であり、彼らが「紐育師団」(ニューヨーク師団)であることを意味していた(昭和20年10月10日付け「道新」)。
 上陸したアメリカ軍は、司令部を五島軒に置き、三〇六部隊が函館水産専門学校、三〇四部隊が旧七一部隊跡、衛生担架隊が旧津軽要塞司令部、司令部付憲兵隊が丸井デパート、移動病院が共愛会館をそれぞれ使用した(北海道立文書館蔵「昭和二十年長官事務引継書」)。この時上陸したアメリカ軍の総兵力は、必ずしも明らかではない。前記の「北海道新聞」見出しは、「六千名到着」と述べているが、前掲「長官事務引継書」は、10月30日現在、道内に2万1630名、函館には4297名という数字をあげている。また、日本国有鉄道青函船舶鉄道管理局『航跡−青函連絡船七〇年のあゆみ』によれば、4日当日、アメリカ海軍の艦船から6160名が上陸し、後日青函連絡船によって600名が函館入りしたとされるがその資料的根拠は不明である。
 翌21年1月26日現在、函館駐屯のアメリカ軍は5120名であり、その駐屯施設別の内訳は表1−1のようになっている。
 これらの駐屯施設は、いずれも日本側からの接収物件であるが、この中で「函高水学校」は函館高等水産学校を指し、現在の北海道大学水産学部の前身であるが、この時期には、昭和19年の改正で函館水産専門学校と呼ばれていた。「水産学校」は北海道庁立の実業学校で、現在の函館水産高等学校である。「共愛会社」は共愛会館のことで昭和12年に建設され、財団法人函館共愛会が入っていた「総合社会福祉館」とでも呼ぶべき施設である。また、「千北ヒルデング」は函館信用組合の仙北ビルデング、「ビルデング」は金森ビルデングのことで、「稀島旅館」は「キト旅館」かと思われるが、不明である。

表1−1 駐屯地別アメリカ軍
駐屯施設
部隊名
兵員数
備考
五島軒 司令部
40
パーネル代将
函高水学校 三〇六部隊
1,500
副司令官 ザーデ大佐
参謀 ワラーク大佐
水産学校 三〇六部隊
1,000
 
元重砲隊兵舎 三〇四部隊
600
 
元要塞司令部 三〇四部隊
300
 
共愛会社 衛生
300
 
丸井服店三階  
300
 
同上 憲兵隊本部
50
隊長 パリプットン中尉
稀島旅館 将校宿舎
30
 
千北ヒルデング 同上
500
函館競馬場 100
ビルデング  
500
 
昭和21年2月「長官事務引継書」(北海道立文書館蔵)より作成
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