通説編第4巻 第6編 戦後の函館の歩み


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第1章 敗戦・占領、そして復興へ
第1節 連合国軍の函館進駐
1 占領軍の函館進駐

敗戦直前の有識者の考え

8.15の回想と記憶

アメリカ軍の進駐を前に

進駐軍心得懇談会の開催

連合軍進駐への心構え

函館署の注意事項

アメリカ軍の進駐開始

「教務日誌」にみる状況

アメリカ軍の上陸と駐屯施設

北海道進駐のアメリカ軍兵力

占領行政の開始と土地・建物の接収件数

司令部が置かれた五島軒

将兵の宿舎・函館水産専門学校

「衛生」部隊が入った共愛会館

一時接収のゴルフ場

8件残して接収解除

進駐アメリカ軍のその後

司令部が置かれた五島軒   P57−P58


五島軒の再開広告(昭和25年10月8日付け「函新」)
 では、函館市における物件の接収は、どのようにしておこなわれたのか。アメリカ軍の司令部が置かれた五島軒の場合、経営者の若山コ次郎は、「うちはホテルだと思われていたらしい。コック、ボーイ、バーテンなど八人が残された。部屋は造作を変えられ、廊下にはバスが設備されるなど思い切りいじられてしまった。引っ越し料はわずか七千円、貸し賃は一ヶ月三千五十円と全くの涙金しか出なかった。進駐軍引揚げのときには、備え付けの家具もだまって持っていかれてしまうなど大損害」だったと述べている(前掲『私達の証言−北海道終戦史』)。五島軒は以後休業に追い込まれたが、11月になり、西川町の旧函館市役所跡でこれまでどおり函館市指定外食券食堂として再出発した(昭和20年11月11日付け「道新」)。五島軒がアメリカ軍から返還され再開したのは、25年10月初旬であった(昭和25年10月日付け「函新」)。また、丸井デパート(丸井今井函館支店)は、最初アメリカ軍が全店の接収を要望したが断ったので、3階以上が接収の対象となり、そこに憲兵が7、80名寝泊まりしていたという(前掲『私達の証言−北海道終戦史』)。同デパートが返還されたのは、翌21年である(石田篤郎編『丸井今井百年のあゆみ』)。
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