通説編第4巻 第6編 戦後の函館の歩み |
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第1章 敗戦・占領、そして復興へ 8件残して接収解除 |
8件残して接収解除 P61−P62 こうした接収が全面的に解除されるのは、対日講和条約が発効した昭和27年のことである。この段階までには、函館市内に全部で56件の接収物件があったが、8件だけを残してすべて返還された。残った8件とは、函館倉庫の一部・CIC(対敵諜報部隊)が使用する建物・「公民館の一室」・有川桟橋の石炭置き場、それに住宅として「潮見丘神社坂」の黒江・岡本、青柳町の箕浦、松風ハウスであった。これらは、アメリカ軍将校の住宅などに使用されたと思われる。返還されたとはいえ、ある住宅では「床の間が便所」になるなど、内部は大幅に改造されていた。「西出ハウス」の場合は、「床柱から天井板までペンキ塗りになつてしまい」、所有者が元どおり住む程度に造作替えをするのに50万円を要したという(昭和27年12月31日付け「道新」)。このほかの返還住宅には、「松岡ハウス」・「小糸ハウス」・「小島ハウス」などがあった(北海道渡島支庁「昭和二十六年度 連合国軍関係使用人解雇及退職手当支給台帳」)。対日講和条約に規定された「占領軍の撤退猶予期間」が切れるのは昭和27年7月26日であり、これを契機として、日本に駐留する連合国軍は占領軍としての性格を払拭した。しかし、アメリカ軍は日米安全保障条約による駐留軍として引き続き日本に駐留し続けたため、日本側は施設・建物の提供を継続することになった。そのことを定めたのが日米行政協定に基づいて同27年7月26日に調印された日米施設協定である。この段階での日本側の提供件数は、全国で兵舎・飛行場・演習場などの一般施設603件(無期限使用300件・一時使用303件)、個人住宅671件、海上演習場26件にのぼったが、北海道関係の「一時使用施設」のなかに、モータープール維持管理事務所(函館市真砂町6ノ1)と石炭貯蔵所(亀田郡亀田村字港3ノ279)がある昭和28年版『北海道年鑑』)。前述した8件の接収物件に、これらが含まれることはいうまでもない。 |
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