通説編第4巻 第6編 戦後の函館の歩み |
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第1章 敗戦・占領、そして復興へ 占領行政の開始と土地・建物の接収件数 |
占領行政の開始と土地・建物の接収件数 P56−P57 10月4日、函館に上陸したバーネル准将が、出迎えた安中総監府官房主幹に手渡した文書によると、交戦状態のまま占領軍政に入るという進駐方式であったため、日本側は動転した。5日午後、札幌の石井公使がアメリカ軍第八軍ランドル准将に通告の撤回を電話で要請し、受け入れられるハプニングもあったが、アメリカ軍による占領行政の第一歩がスタートした(外務省外交史料館蔵「終戦連絡事務局資料」、昭和27年4月27日付け「道新」)。なおその日の午後1時、司令部を置いた五島軒で登坂函館市長、竹内裁判所所長、馬場函館病院長、佐藤・佐々木の水陸両警察署長らを引見した(昭和20年10月5日付け「道新」)。函館を占領したアメリカ軍は、その事務所や兵舎として使用するために市内のおもな施設の接収をおこなった。特別調達庁札幌支局の後身である札幌防衛施設局の「接収台帳」に依拠した毎日新聞社編 『私達の証言−北海道終戦史』は、昭和20年のもっとも多い時点で道内の建物などの物件308件が接収されており、11月1日現在では、全道で235件の土地・建物が接収され、札幌と小樽が最多の95件、函館が52件、室蘭が33件、その他網走・上川・美幌・帯広・北見・千歳・稚内などでも数件ずつ接収されていると記している。昭和22年2月現在では、全道で160件の土地・建物が接収されていた。もっとも多いのは札幌市の99件であり(建物50件、個人住宅17件、土地13件、倉庫・車庫・貯炭場13件、スキー場・水泳場他3件、公園2件、ボート使用1件)、以下函館市が23件(建物12件、個人住宅8件、倉庫・車庫・貯炭場2件、土地1件)、室蘭市が21件(建物14件、個人住宅3件、建物及び運動場2件、倉庫・車庫・貯炭場2件)、小樽市が9件(建物6件、土地2件、倉庫・車庫・貯炭場1件)苫小牧町が2件(建物1件、スキー場1件)、帯広市・釧路市・旭川市・稚内町・美幌町・千歳町が各1件となっている。帯広市以下の接収物件はいずれも建物である(北海道立文書館蔵 昭和22年2月「長官事務引継書」)。 |
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