通説編第4巻 第6編 戦後の函館の歩み


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第1章 敗戦・占領、そして復興へ
第1節 連合国軍の函館進駐
1 占領軍の函館進駐

敗戦直前の有識者の考え

8.15の回想と記憶

アメリカ軍の進駐を前に

進駐軍心得懇談会の開催

連合軍進駐への心構え

函館署の注意事項

アメリカ軍の進駐開始

「教務日誌」にみる状況

アメリカ軍の上陸と駐屯施設

北海道進駐のアメリカ軍兵力

占領行政の開始と土地・建物の接収件数

司令部が置かれた五島軒

将兵の宿舎・函館水産専門学校

「衛生」部隊が入った共愛会館

一時接収のゴルフ場

8件残して接収解除

進駐アメリカ軍のその後

「衛生」部隊が入った共愛会館   P58−P59


プットマン陸軍病院となった共愛会館
 施設を接収したアメリカ軍のことが具体的に分かるのは、共愛会館の場合である。この建物は昭和12年に建設された鉄筋コンクリート3階建ての建築で、当時の函館ではかなり立派な建築物であった。アメリカ軍によって会館が接収された時、立ち会った社会福祉法人函館共愛会の理事長であった大上真宏は、「渉外先遣隊がくるのがわかっていたので、米軍上陸前から反骨精神を出して共愛会館の屋上に日章旗を堂々とかかげてやった。接収に来たのは米軍が上陸した日の夕方だったが、ピストルをつきつけられて各部屋の案内を命ぜられた時は、さすがに生きた心地はしなかった」(前掲『私達の証言−北海道終戦史』)、と述べている。この会館にはアメリカ軍の「衛生」部隊が入ったが、この部隊は、昭和18年にイリノイ州で創設されたアメリカ陸軍第六八移動外科病院や、第二二一空挺隊医療隊などからなる「プットマン陸軍病院」であった。
 第六八移動外科病院は、負傷兵に対する迅速な治療と救助活動を目的として昭和18年に創設された。翌19年にアメリカ陸軍の第六軍がおこなったレイテ島進攻作戦では予備の第七七師団に所属しており、20年の沖縄進攻作戦では、慶良間列島の座間味島に上陸した。以後、沖縄本島・フィリピンのセブ島を経て、20年10月、直接函館に上陸したという。3階建ての共愛会館は、3階の講堂が部隊の宿舎となり、2階に処置室と病室が置かれ、1階の公衆食堂はそのままアメリカ軍の食堂に用いられた。共愛会館の接収が解除され、返還されたのは翌21年3月15日である(清水恵「函館にあった占領軍の病院」『地域史研究はこだて』第29号)。
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