「函館市史」トップ(総目次)
第1章 露両漁業基地の幕開け
第1節 区政の展開と政治潮流の実相
1 自治区制の進展と区長選任事情
自治区制の出発
函館区長の選挙
函館区役所移転問題
区内各紙連合の演説会
函館区民大会の決議
区役所の新築
林悦郎区長の辞任と政争の影
任期半ばで退任する区長たち
地元区長も途中退任
北守助役の区長就任
渋谷区長選任問題
党派の軋轢と区長問題
区役所の機構とその変遷
役所の吏員
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区役所の機構とその変遷 P35
自治区制施行後も函館支庁時代の事務分掌を継承して、区役所は3課制で事務取扱いを開始した。第1課の係は、庶務、学事、戸籍で、第2課が勧業、土木、第3課が税務、財務であった。自治区制により新たに誕生した収入役は収入部として、区の出納を担当した(「函館区事務報告」)。明治33年以後区制時代から市制時代の昭和14年に至る行政機構の主要な変遷は表1−9の通りである。区長交代時や区会議員改選時にはいつも区政の刷新が話題となったが、区役所の組織には大きな変化がなかった。行政機構の分課は時代の変化を先取りあるいは吸収して内務省の行政系列のルートで改編されていくものではあるが、行政責任者の意向や意欲も反映される。第8代目の区長に就任した西岡実太が庶務課を分割して総務課と教育社会課としたのは、登場し始めた社会問題への対応を考慮してのことである。また、大正期に入って街造りには都市計画を、という考え方から所管係の整備も進んだ。
市制施行後も、時代の変化に対応して分課の改編が行なわれる。大正12年の都市計画法施行都市指定、都市計画区域の決定(大正15年7月6日)、重要施策としての港湾整備の実施などは行政機構の改編を促した。大正14年5月に教育社会課が教育課と社会課に、さらに勧業課、衛生課が独立した。
表1−9 行政機構の主要な変遷(明治33〜昭和14年)
明治33年 |
大正4年 |
第1課(庶務、学事、戸籍)
第2課(勧業、土木)
第3課(税務、財務)
収入部
水道事務所 |
庶務課(庶務、教育)
戸籍衛生課(戸籍、衛生、兵事)
土木課(土木、水道)
経理課(税務、財務)
出納課 |
大正11年 |
大正14年 |
総務課(秘書、文書、議事、統計)
教育社会課(教育、社会、殖産、大正10〜)
戸籍衛生課(戸籍、衛生、兵事)
土木課(庶務、土木、営繕、水道)
経理課(主計、税務、調度)
臨時調査課(大正10〜)
出納課
水道拡張事務所
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総務課(秘書、文書、議事、戸籍)
勧業課(産業、統計)
教育課(教育、兵事)
社会課(戸籍、衛生、大正14〜)
衛生課
土木課(庶務、工務)
建築課
水道課(庶務、工務、大正13〜)
経理課(税務、調度)
都市計画課(大正13〜)
港湾課(大正13〜)
出納課 |
昭和4年 |
昭和14年 |
総務課(秘書、文書、議事、庶務)
勧業課(商工、水産、統計)
教育課(教育)
兵籍課(戸籍、兵事、昭和4〜)
社会課
衛生課
土木課(庶務、工務、建築)
水道課(庶務、工務)
税務課(課税、徴税、庶務、昭和4〜)
都市計画課
港湾課(港湾、技術)
出納課
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総務課(秘書、文書、議事、庶務)
勧業課(産業、調整、水産、統計)
教育課(学務、社会)
警防課(警備、防空、昭和14〜)
兵籍課(戸籍、兵事)
社会課(救護、福利)
衛生課
土木課(庶務、工務、建築)
水道課(庶務、工務)
税務課(課税、徴税、庶務)
都市計画課
港湾課(港湾、技術)
出納課 |
各年「函館区事務報告」および「函館市事務報告書」より作成
ただし大正11年は「函館市公報」によった |
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