通説編第3巻 第5編 「大函館」その光と影 |
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第1章 露両漁業基地の幕開け 函館区役所移転問題 |
函館区役所移転問題 P21−P22 篤実が代名詞であった林悦郎区長は、34年12月の区会(35年度の当初予算区会で町会所で開催)で議長としての資質を問われるような議案処理をしてしまった。区会8日日の12月6日、第15号議案明治35年度歳入歳出予算の第2読会(具体審議)が開かれ、林悦郎区長は議長席を議長代理者平出喜三郎に譲り、病院新営費予算の趣意と経緯を説明した。 つまり、現在函館区の最大急務は区役所の移転新築問題であるが、そのためにはまず焼失した函館病院を再建して空舎となる豊川病院を修築し、区役所を仮移転するというもので、常設委員会では否決された議案を本会議に提出したものであった(明治34年12月8日付「北海朝日新聞」)。これに先立ち3日目の11月28日に第1読会(議案提案)の際、北守政直助役は病院新築について次のように説明していた。臨時部歳出の病院新営費2万4000円余で函館病院跡地に病院を新築するが、3万円余の寄付金が見込めるので、約5万5000円余で十分な病院が出来、同時に豊川病院を全廃して修繕を加え仮区役所に充て、早晩山の手の好地を選んで区役所を新築する予定である。 本会議での議論は、病院敷地を元町のままとするか東川町にするかが争点となり、容易に決着せず議論が沸騰すると、林悦郎議長は全員委員会への付託としたいと発言、出席議員が異議なく賛成して付託に決した。「傍聴者呆然として掌中の玉を奪われたるの慨あり」(同前)と新聞は報道している。 東川町派は、元町敷地は狭隘であり付近は人家稠密の地で病院新築の目的を達成できず、東川町は広闊で関係施設を意のままに作ることが出来、低湿地であるとの批判もあるが、問題にするほどではないなどと主張した。元町派は、元町の敷地は3000坪あり必ず平屋建築にとの制限があるわけでもないから狭隘とは言えず、病院新築の目的は区として完全なる模範病院を建設し、他の医院が治療出来ないような患者に対応しようとするもので、「細民の急に応ぜんと欲せば別問題として研究すべきなり」、東川町は工業地のため空気は不潔で病院設置に堪えないなどと主張していた。 12月8日、9日は別の議案を審議可決し、11日に病院問題が再び審議されることとなり、21名の議員が出席して区会が開かれた。開会直後竹内與兵衛議員から日程変更に関する緊急建議案が出され、即座に賛成者多数で建議が認められた。病院新営費の否決と区役所新築を求める建議で、その概要は次の通りであった。 函館区役所は、自治区制となった時函館支庁の一部を借用して開所したが、あくまでも1年間の期限付きで、函館区長を兼務していた龍岡函館支庁長が止むを得ず承認したという経緯があり、期限満了後庁舎が狭いこともあって立ち退きを督促されている状態にあるのは区の不面目の至りである。理事者はこれを顧みず比較的不急の問題である病院新築を先にするのは納得できない。区役所新築の場所は病院焼跡とするのが適当である。 病院新築の敷地でもめていた区会は、元町の病院焼跡に函館区役所を建てるということで決着を見たのである(12月12日付「北海朝日新聞」)。 |
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