通説編第3巻 第5編 「大函館」その光と影 |
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第1章 露両漁業基地の幕開け 北守助役の区長就任 |
北守助役の区長就任 P30−P31 またも任期満了に程遠い状況で区長が辞職し、早速第5代目区長の選考が始まった。「銓衡委員会」での協議はまとまらず、投票を行なうこととなった。その結果、北守政直、岡本忠蔵、三坂亥吉の3名が候補者と決定した。最多得票者は北守で、10月4日の区会議員協議会には25名の議員が出席、投票の結果14票を獲得した北守が区長予選候補者となった(表1−7)。明治43年10月8日、区長候補者選挙区会が開かれた。出席者は北守助役を区長候補者に推す16名のみで、反対派は全部欠席と報道された(10月9日付同前)。第1候補者に北守が出席議員全員の16票、第2候補者は11票で三坂、第3候補者は9票で岡本を選出して区会は閉会した。この選考過程を10月6日付けの「函館日日新聞」は、「呪はれたる区政刷新…是れ何んの兆ぞ」と題して問題にした。区政の刷新は区長選、区議選の際にいつも声高に叫ばれ、「区民万衆の期待」することであったが、刷新の名のもとに区会議員の「曾って排斥したるものと結びて其の任期の前に助役収入役の選挙」をするなどの権謀術数的な行動がまかり通っていた。自治制実施以来助役の職に在る北守政直は刷新の対象なのに反対派が欠席した区会で区長に推薦される始末で「区政の運為斯くの如くにして、朋党の犠牲に供せられた」と論じて「区政の頽敗」を前に「議員の反省と区民の判断」を要請していた。しかしこの論調は、区長選を終えた翌日には一転した。その理由は不明だが、もっぱら区長選挙会の区会議員の欠席に問題を狭め、林区長以来、北守助役は補佐の任を十分にしていないといわれていたにもかかわらず、新区長として区政の刷新遂行力に期待感を表明したのである。就任裁可は11月8日であった。後任助役には収入役の渋谷金次郎が推された。11月26日、区会の助役選挙に20名の議員が出席、全員が渋谷に投票し、第2代目の助役が決定した。道庁の認可は12月7日であった。
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