通説編第3巻 第5編 「大函館」その光と影


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第1章 露両漁業基地の幕開け
第1節 区政の展開と政治潮流の実相
1 自治区制の進展と区長選任事情

自治区制の出発

函館区長の選挙

函館区役所移転問題

区内各紙連合の演説会

函館区民大会の決議

区役所の新築

林悦郎区長の辞任と政争の影

任期半ばで退任する区長たち

地元区長も途中退任

北守助役の区長就任

渋谷区長選任問題

党派の軋轢と区長問題

区役所の機構とその変遷

役所の吏員

函館区民大会の決議   P23−P25

 翌35年1月6日、3新聞社主催(前々日の4日に北海新聞社除名)の区民大会が蓬莱町の小林亭で開催された。会費が50銭で、720名が参会した。大会委員長には馬場民則(弁護士でこの後「同志倶楽部」を率いて活躍する)が選ばれ、次の3点をさきの区会決議の問題点と位置付けていたのである。
 第一は、区会の議決が函館病院新築地問題を元町の病院焼跡に区役所を新設するということにすり替えたことにあった。区民大会では現在の函館区の中心と言える豊川町を区役所新築予定地(区役所敷地を「中央便宜の地に変更申請を為すこと」とある)とする要望が出された。
 第二は、北海道鉄道株式会社から寄付金1万5000円を受けとったことにあった。区と北海道鉄道株式会社が競願していた海岸町の埋立てで区が譲歩し、出願を降ろした結果であるとみなされた。
 第三は、30万円内外の財政規模で6万9000円の剰余金(33年の一般歳入は34万3000円余で内区税は14万5000円余、歳出は29万3000円余)を出したことの糾弾にあった。その「経費中不足を見るの場合は臨時徴収の途あり、夫れ過大の経費を予算せば勢乱費を免れす財政家の戒る処なり、区長及議員諸氏は実に此戒を無視したるものなり」という主張であった。
 この3点について区長および議員が失政を認めてその反省を求めると同時に区政改善の目的を達するまで区民大会を継続するというものであった。90名の委員が選ばれ(表1−5)、運動の継続が確認された。大会後龍岡信熊、日本郵船函館支店長榊茂夫、函館銀行頭取広谷源治の3名より、大会の意見を貫徹できるよう尽力するので筆鋒を納めてほしいとの申し入れがあり、記者倶楽部会議は10日「徳義上の休戦」を決議したという(11日付「北海朝日新聞」)。
表1−5 明治35年1月6日区役所移転問題区民大会委員一覧
馬場民則 八木橋栄吉 相馬理三郎 辻快三 小橋栄太郎 川上嘉吉
池田淳 谷川定次 田村力三郎 西田季一郎 金沢彦作 三田已蔵
小林貞吉 山本巳之助 山浦浩一 松下熊槌 千葉重吉 吉岡憲
関口芳太郎 加藤嘉七 前田富太郎 木下亀次郎 近江勇蔵 金子孝太郎
工藤嘉七 服部半左衛門 佐藤大蔵 小倉基 小林直勝 石戸米作
三上長吉 佐藤作太郎 小川善一 村木善治 藤沢利助 柿崎長蔵
山崎嘉蔵 斎藤豁三郎 小柳治郎吉 伊藤鋳之助 工藤長吉 品田鹿造
橋場金蔵 柳田栄助 相馬健一郎 池田庄太郎 塩谷徳次 市田亀治郎
石津孫十郎 鍋田為蔵 今井源吾平 津田善右衛門 小山治三郎 石垣隈太郎
佐野虎之助 長門儀助 黒井房吉 山口喜代松 山崎良太郎 斎藤五平
白井猶次 茅原勇吉 池田直次 松永勇吉 池田勝右衛門 斎藤助三
納代東平 高須長七郎 桶口多喜蔵 鎌田善二郎 山本猪之吉 金丸新兵衛
安斎仁吉 塚谷長吉 柿本作之助 松川喜之助 鈴木竹次郎 白金定之
塩崎泰輔 渡辺内蔵之助 浅岡義章 蜂谷藤吉 沢田光長 赤坂弁次
川合信水 斎藤哲郎 青木清治郎 速水彦輔 鈴木作内 山田竹次郎
明治35年1月8日付け「北海朝日新聞」より作成
注)委員長は馬場民則、八木橋栄吉から松下熊槌までの15名が常務委員
 18日、区民大会委員会が町会所で開催され、馬場民則委員長から経過報告がなされた。概要は、(1)大会の翌日函館支庁長龍岡信熊が一個人として会長宅を訪れ交渉の余地があるかと聞かれたので、常務委員会に諮って決定すると答えたこと。(2)交渉者に榊茂夫、広谷源治、山本安三郎が加わるとの申し込みがあったこと。(3)大町の相馬哲平氏から区役所敷地購入料(1万5000円)の申し出があったが、役所が土地の寄付でなければ受けられないとのことから交渉が延引したこと。(4)18日の午後2時までに確答する旨通牒があったこと、であった。
 報告終了後、常務委員及び記者倶楽部代表者と龍岡信熊らとの会見が行なわれ、龍岡から確答が示された。大会委員会はこれを満場一致で是認し、今後実行の状況を見届けるため区民大会を継続することも決議した。確答の要旨は、区役所を中央便宜の場所に移転することは承諾し、北海道鉄道会社1万5000円寄贈の件と33年度剰余金の件は明言できないが「平和に局を結ぶ」方向で「我等の確信」と「精神を諒察ありたし」というものであった(20日付「北海朝日新聞」)。29日、有志大懇親会が開催された。案内状には「歳華新なると共に我が函館区の前途経営すべき事業尠なからざる折柄有志諸君と一堂に会し襟を開き手を握り一層融和親睦致したし」とあった(29日付「北海朝日新聞」)。区役所新築問題は一応の決着を見たわけである。
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