通説編第3巻 第5編 「大函館」その光と影 |
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第1章 露両漁業基地の幕開け 函館区長の選挙 |
函館区長の選挙 P19−P21 選挙により区会議員が決定した直後の明治32年12月14日、区会議員は初召集された。区会を開くための前提である「区会議規則」と「区会傍聴規則」を決めて北海道庁長官の許可を得るための会合であった。16日には9日付けの内務大臣の区長候補3名推薦命令書をうけて区長候補者の選挙が実施された。区会を召集した議長は、区長事務取扱者の函館支庁長龍岡信熊であった。投票は3名連記方式で行なわれた。得票上位者の林悦郎、木村広凱、中村修の3名が区長候補者となり、同日内務大臣へ上奏裁可の申請がなされた。またこの日、助役選挙、議長代理者選挙も実施された。助役には北守政直(北海道庁長官に認可を申請、翌33年1月6日付けで認可された)、議長代理者には平出喜三郎が選ばれた。選挙結果は表1−2の通りである。初代区長となった林悦郎は、山形県出身で開拓使時代に函館支庁の官吏となり、函館県時代に函館区役所で区長心得、区長代理を務め、明治18年10月に2代区長となり通算で約4年半(明治15年5月〜19年12月)、函館区の舵取りを担当した人物である。自治区制の初代区長を選ぶに当たって函館の区会議員らは手堅い人物を選択したといえよう。助役となった北守政直は、岩手県盛岡市の出身で開拓使時代の明治11年4月に来函して開拓使の雇となり、そのまま函館県職員、北海道庁職員、北海道庁函館区役所書記を歴任し、明治29年11月まで通算で約19年7か月函館に在職した人物であった。その後助役を11年間弱、続いて区長を1期6年間勤め、函館在勤は通算で約36年5か月に及んだ人物であった。ついで、12月18日の区長以下の給料と旅費支給条例が議決(明治33年1月25日付け内務省地丁第1号で許可)され、区役所員の定員も決められた(表1−3)。さらに翌33年1月11日の第2回区会で収入役と同代理者の選定が行なわれ、収入役には札幌区役所第1課長の渋谷金次郎(青森県弘前市の生まれで、明治14年8月に来函、開拓使の函館区役所書記、函館県函館区役所書記、北海道庁函館区区役所書記を歴任、明治20年4月まで約5年8か月在函)が、同代理者には函館区書記の吉田豊吾が選定され、同時にそれぞれの年俸が議決された(区長1600円、助役1000円、収入役800円、同代理者500円)。ちなみに札幌区ではそれぞれ1200円、900円、600円、500円であった(明治33年1月13日付「北海道毎日新聞」)。函館、札幌、小樽3区の区長は、13日裁可がおり(16日付「官報」)、区会出席議員全員の票を獲得して第1候補者となった林悦郎が初代函館区長の座に就いた。2代以降の区長を決める際も、内務大臣が(「に」の誤りか)区長候補者を上奏して裁可を仰ぎ、第1候補者が区長の座に就くというシステムは踏襲された。林は、22日開催の第3回区会から議長の任に就いた。
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