通説編第3巻 第5編 「大函館」その光と影


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第1章 露両漁業基地の幕開け
第1節 区政の展開と政治潮流の実相
1 自治区制の進展と区長選任事情

自治区制の出発

函館区長の選挙

函館区役所移転問題

区内各紙連合の演説会

函館区民大会の決議

区役所の新築

林悦郎区長の辞任と政争の影

任期半ばで退任する区長たち

地元区長も途中退任

北守助役の区長就任

渋谷区長選任問題

党派の軋轢と区長問題

区役所の機構とその変遷

役所の吏員

地元区長も途中退任   P29−P30


初の地元区長竹内與兵衛(『北海道人名辞書』大正3年刊)
 4代区長となったのは竹内與兵衛であった。彼は明治23年から旧制度の区会議員で、自治区制になってからも当初から区会議員の職にあった。初の地元出身の区長で、当時遠藤吉平とともに区の長老、元老といわれた人物であった。明治42年6月2日の「区長銓衡委員会」で、今回こそ地元出身者をと意気込み、遠藤吉平、竹内與兵衛、二木彦七、榊茂夫、北守政直の5人を候補者とすることが決定された。14日の協議会での投票で竹内與兵衛が他候補者より2票多く獲得した。新聞報道によると交渉委員の「熱心なる勧請」が固辞する同氏を承諾に向かわせたという(6月17日付「函毎」)。29日の区会は22名の議員が出席し彼は22票を獲得したのである。ちなみに第2候補者は北守政直、第3候補者は遠藤吉平で、共に得票は20票であった。区長認可通知は8月31日付けであった。
 しかし竹内與兵衛の区長職も1年弱に過ぎなかった。竹内区長の辞意が明らかになると、佐藤槌之丞(44年区会議員に当選)は、「函館区長論」と題して自治制の施行後わずか10年で区長の交代が3人、しかも現区長もまた途中退任という実情を俎上に載せ、区長の頻繁な交代は「多く其類例を聞かず、此の如きは決して闔区の慶事にあらざるなり」と述べている(明治43年7月31日付「函日」)。明治43年8月1日の区会で竹内区長の病気による辞職が同意された。交渉委員長を務めた田村力三郎議員は、同意にあたって自治体の本旨から「地元住民たる竹内氏を推薦せしに、在職未だ一年ならずして今辞職を見るは誠に遺憾」とする感慨を述べ、同時に、今後新区長を迎えるには「先づ区役所積弊の存する所を廓清し席(区長席)を清めて之を待つ」方針を打ち出さなければといった指摘もしていた(8月4日付同前)。退職認可は8月24日であった。
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