通説編第3巻 第5編 「大函館」その光と影


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第3章 戦時体制下の函館
第5節 戦時下の諸相
3  強制連行と捕虜問題

3 中国人の強制連行

戦時体制と労働力

外地労働者移入組合

中国人労働者の処遇案

職業紹介法の制定

閣議決定と試験的移入

函館の事業場

(株)地崎組の中国人使役

(株)地崎組函館出張所の場合

函館華工管理事務所の場合

中国人労働者の生活

中国人の帰還

戦時体制と労働力   P1251−P1252

 昭和12(1937)年7月に開始された日中戦争は、同14年のノモンハン事件などを経て、同16年12月以降は太平洋戦争へと拡大を遂げていった。
 このような戦事体制を維持するためには膨大な労働力を必要とする。そこで政府は、昭和13年に「国家総動員法」を制定し、生産手段と労働力の国家的統制に乗り出した。同14年7月、「国家総動員法」によって閣議決定した重点的5産業に対する同年度の労務動員実施計画綱領によれば、労務者の新規需要数を男71万2000人、女32万人の104万2千人とし、これに対して男75万8千人、女38万1千人の計113万9千人を供給する計画であった。その主たる供給源は、小学校卒業者−46万7千人、農村未就業者−25万6千人などであったが、その中には、移住朝鮮人8万5千人も含まれていた。
 このように、日本国内のみでは不足する労働力を、植民地朝鮮の労働力に依存しようとしたのである。そして、こうした方向は、やがて軍事的占領地中国からの中国人労働者の強制連行へと発展していった。
 中国人労働者の動員は、昭和17年11月27日に東条内閣の閣議で決定された「華人労務者内地移入ニ関スル件」によって具体化されるのであるが、すでに旧満州には、これ以前から大量の「苦力(クーリー)」が大陸華工公司、新民会労工協会、新民労働協会、山東労工福利局、山東労務公司といった半官半民の紹介機関を通して供給されていた(前田一『特殊労務者の労務管理』山海堂、昭和18年)。
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