通説編第3巻 第5編 「大函館」その光と影 |
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第3章 戦時体制下の函館 3 中国人の強制連行 (株)地崎組の中国人使役 |
(株)地崎組の中国人使役 P1262 次に、函館に連行された中国人労働者の労働の実態を、地崎組を中心にして取りあげてみよう。地崎組の場合、昭和14年に地崎宇三郎が外地労働者移入組合の発起人代表として政府に陳情を行っていたことからも明らかなように、中国人の使用に当初から積極的であったと思われる。なお、以下に使用する史料は、国会図書館所蔵のGHQ/SCAP文書中の地崎組関係資料の中に収められている。華工勤労管理要項 P1262−P1263 さて地崎組では、昭和20年1月に「華工勤労管理要項」を制定し、各出張所に配布しているが、最初の「方針」では、「華工ノ本格的移入開始セラレテ日尚浅ク諸般ノ施業未ダ揺籃ノ域ヲ脱シ得ズ、茲ニ各員ノ苦慮スル所ト思惟ス」とあって、中国人の労務管理が必ずしも順調に実施されてはいないことを示している。以下この要項は、隊編成、訓練、精神訓練、作業訓練、生活訓練、規律訓練、食事訓練、保健衛生訓練、保護、休日、隊華幹部の練成、治安の各章から構成されている。 まず隊編成では、「統率指揮命令ハ職階級制ニ依ル隊編成」とし、隊長、副隊長各1名の他、30名に1名の割合で班長を置き、作業命令は翻訳担任者を通じて隊長に命じられ、隊員への直接命令は行わない方針であった。管理者と日系指導員に対しては、「大乗的見地」に立つことや中国人を指導する際に「清濁合セ飲ムノ雅量」を持つことが求められ、「華人ノ特性ヲ理解シ、労工人ニ対シテハ大東亜参戦ノ名誉アル勤労ニ従事スルノ光栄ヲ周知セシメ」ることとされた。 精神訓練では、就労地に到着後、「精神の安定」を図るために「我們要日華親善完成大東亜戦争」以下6か条の「誓條」を教示し、「日課時間ヲ厳守」の上、「起床、就寝、出勤等総テ『軍隊式』ラッパヲ以テ実施」された。その他、保護では、「日本語指導」のために「作業用語ノ指導」や「作業上必要ナル用語ノ指導」、「日常生活用語ノ指導」がなされ、具体的には、「フトン、シュクシャ、ロウカ、フロ、ペンジョ、タイチョウ、ハンチョウ」などの用語を教えた。しかし、それ以外の日常語は、「其筋ノ許可ヲ要スル」場合があった。 最後の治安では、「防牒(ママ)並ニ逃走防止ニ関シテハ所括警察署ニ提出セル警備要項ニ依ルモノトス」とあるが、この警備要項の詳細は明らかではない。 管理体制 P1263 地崎組では、このような中国人労働者の管理要項の制定のみにとどまらず、その管理体制を現場全体に徹底させるため、昭和20年初頭から華系現場事務長会議もしくは華人労務者指導長会議と呼ばれる会議を開催している。同年4月8日、本店労務部で開かれた第3回会議の場合、道内の伊屯武華(イトムカ)、大夕張、東川、上砂川、函館、大野、平岸の7現場から関係者を召集し、伝染病発生に対する処置と予防対策、空襲時の処置、中国人労働者に対する指導員の採用とその選考方針、指導員の養成と待遇、といった問題について協議がなされている。 |
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