通説編第3巻 第5編 「大函館」その光と影 |
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第3章 戦時体制下の函館 3 中国人の強制連行 (株)地崎組函館出張所の場合 |
(株)地崎組函館出張所の場合 P1263 では、地崎組の現場における中国人労働者の実態は、どのようであったのだろうか。先の表3−39(→閣議決定と試験的移入)における地崎組函館出張所の場合を取りあげてみよう。「華工勤労状況」 P1264 同出張所は、中国人を連行後約2か月を経た昭和20年2月21日付けで、本店の西田庄太郎支配人宛に「華工勤労状況」に関する報告書を提出している。これは、1月18日付の本店の依頼によるもので、全12項目にわたる詳細な報告である。その内容を一部紹介してみると、まず「三、訓練期間」では、次のように記されている。(イ)、規則訓練ハ入所当時ヨリ約一ヶ月間実施シ、集団生活ニ必要ナル各種訓練トシテ命令服従ノ精神ノ涵養(指導員、隊長、中隊長、小隊長、班長ニ依ル部隊組織ヲ編成ス)及ヒ機敏ナル諸動作ヲ涵養スル目的ヲ以テ初歩的軍事教練実施ニ努メタリ。 すなわち、現場自体が地崎組函館大隊と称され、軍隊的組織と秩序による管理体制が敷かれていたのである。図3−4はその状況を示しているが、日本人管理主任、同指導長のもとに生活管理員と作業管理員が置かれ、その下に元軍人の中国人総隊長がおり、以下、中隊−小隊−班という命令系統が存在していた。いわゆる土工部屋的労働管理と軍隊組織をミックスさせた命令系統といえよう。なお、生活訓練と作業訓練は共に約3か月を予定し、この2月21日はまだ訓練の実施期間中であったが、前者は、「起床、食事、出舎、入舎、点呼等ハ日系指導員指揮ノ下ニ行ヒ、自由放任□行動ハ禁シアリ」、また後者は、「入所当時ハ作業現場ノ視察、作業上ニ於ケル隊編成、能率向上ニ必要ナル上長ニ対スル服従観念ノ涵養、並ニ器具ノ扱ヒ方教示等ニ努メタリ」とある。
就労の状況 P1264−P1267 「五、就労状況」では、出稼率が12月−90.22%、1月−93.56%と報告され、能率状況について次のように記されている。現在訓練期間中ニシテ、尚作業種別ノ変化多ク、加之冬期間ノタメ貨車、船舶運行兎角順調ヲ欠キ、舎内待機等ノ場合多々アリ。能率ハ算定シ難キ状態ニアルモ、半島労務者ト比較スル場合ハ遥カニ優秀ナルモノト思料セラル。 すなわち、朝鮮人労働者と比較して、中国人の方がはるかに「優秀」との評価である。「七、栄養状態」においては、1月31日現在の総人員225人について、1人当り平均体重13貫654匁、全員の総体重3072貫154匁の数字が示され、その内訳は、10貫以下−3人、10貫以上11貫999匁迄−25人、12貫以上13貫999匁迄95人、14貫以上15貫999匁迄−80人、16貫以上−22人となっている。このデータが正確なものとすれば、体重12貫(45キログラム)以上、14貫(52.5キログラム)以下の中国人は95人で、全体の42%トを占めていた。 また、平均年齢は31.54才で、その年齢構成は、15才以下−0、16才以上20才迄−30人(13.3%)、21才以上30才迄−77人(34.2%)、31才以上40才迄−76人(33.7%)、41才以上50才迄−42人(18.66%)、51才以上−0人となっており、20才から40才までの中国人が全体の68%を占めていた。それにしても、平均年齢が30才を越えているのは、やや高すぎるように思われる。 なお、この225人中40人は、調査時点で疥癬、下痢、大腸カタル、足先潰瘍などの傷病者であった。 次に「九、食糧事情」をみると、1人当たりの配給基準は次のようになっていた。 イ、主食物・種類ト給与量 「十、衣料事情」では、「現在着衣セル外ニ着替ナキタメ、洗濯ノ如キモ容易ナラズ」という状況であった。 「十二、治安関係」では、次のように記されている。 イ、警察取締状況 華工の前歴 P1267
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