通説編第3巻 第5編 「大函館」その光と影


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第3章 戦時体制下の函館
第5節 戦時下の諸相
3  強制連行と捕虜問題

3 中国人の強制連行

戦時体制と労働力

外地労働者移入組合

中国人労働者の処遇案

職業紹介法の制定

閣議決定と試験的移入

函館の事業場

(株)地崎組の中国人使役

(株)地崎組函館出張所の場合

函館華工管理事務所の場合

中国人労働者の生活

中国人の帰還

中国人労働者の生活   P1268−P1269

 次に、これら中国人達の労働と生活の実態について触れてみよう。彼等の日常生活は、午前5時30分に起床し、人員点呼を行なった後、6時に朝食、その後直ちに作業場に出発し(夏期は午前7時、冬期は午前8時)、受入会社の作業指導員が人数を確認の上受け取った。午後5時の帰舎時には、また人員点呼があって、事務所が指導員から引取り、入浴、夕食、再度の人員点呼を経て午後9時半に就寝、というのが一般的な日課であった。

「第一次転配」組   P1269

 事業場での中国人の就労状況を、この報告書は次の3グループに分けて記している。すなわち、東日本造船からの「第一次転配」グループは、

 日本内地ニ一年以上居住后ニ受入タルニ付、当時、日本内地ノ状況ヲ知悉シテ居リ、大体ニ於テ大東亜戦争ニ協力シ、亜細亜建設ノ一翼タラントノ言動ヲ示シ、他ノ組ヨリ稼働能率ニ於テ優レテ居リ、事務所側トシテモ極力一中隊(第一次受入ノ中隊名称)(ノ−引用者)意志表示ヲ重視セリ、然レ共、終戦后ニ於テ戦時中ト一変シ、隊員中ノ腕力ノ強キ者ノ支配スル所トナリ、幹部ヲ抑ヘテ種々ナル紛争事故ヲ起シ、亦事務所側ニ対シテモ金銭其ノ他ノ強要ヲ迫リ、幹部ヲシテ事務側ニ接渉セシメタリセル為メ、戦后幹部ハ全部、各自市内旅館ニ宿泊シ宿舎ニ帰ラヌ為メ、宿舎ニハ新規ノ幹部ガ隊員ヲ指導ス、

という状況になった。

「第二次転配」組   P1269−P1270

 次に神戸華工管理事務所からの「第二次転配」グループは、次のように記されている。

 三組中統卒ヲ欠キ、体格モ劣リ病弱者及小核多数ノ為メ、稼働能率劣悪ナリ、怠惰ナル習慣性アリ、其ノ上盗心多ク、他組ノ華労ヨリ全ク存在ヲ認メラレザル状況ナリ、依テ事務所側ニテハ、極力彼等ガ過去ノ生活ニ依ル悪習慣ヲ精算反省サスベク指導セリ、華労幹部ニ於テモ隊員ト差異ナク、指導員トシテノ資格無キ有様ナリ、
 作業ニ於テモ体格劣弱ノ為メ、稼働ヲ強制セズ、自由意志ニヨリ幹部ノ指導ニ一任シ、勿論、残業、夜業等ニ参加サセズ、軽作業ニノミ従事セシム。為ニ、他組幹部ヨリ折々苦情申込アリタリ、終戦直前ニ到リ、病者ヲ除キタル隊員ノ体格モ回復シ、精神的方面ニ於テモ指導ノ効果ヲ示シ、全般的ニ良好ニ向ヒタル事ヲ認ム、

 ところが、この第二グループもまた、「終戦后ニ於ハ、生活態度モ旧ニ戻」ってしまったという。そして、最後の伏木華工管理事務所からの「第三次転配」グループについては、次のようであった。

 此ノ組ハ、三組中最モ良ク統一セラレ、過去ニ於テ団体訓練ヲ了シタル故、体格、規律、作業能率等ニ於テモ、其他一般的ニ他組ノ模範タルモノナリ、終戦后ニ於テハ、三組全部ヲ三中隊(此ノ組ノ名称)長ガ指導シ、成果ヲ上ゲタル点多々アリ、
 事務所側ニ於テモ良キ連絡者ト認メ、終戦后ノ食糧、衛生、保安等ノ事柄ヲ此ノ中隊幹部ニ一任、依存セリ、
 又、良ク日本人ノ心情及立場ヲ了解シ、帰還迄全華労ヲ指導セリ、帰国ニ当リテハ、到着地迄華労側輸送指揮者トナリ、惜別ノ念、誠ニ大ナルモノ有リタル状況ナリ、

 以上みてきたように、3グループの中では、他の集団に較べて最後の集団に対する評価が最も高い。
 但し、このような状況を記した報告書自体は、日本の敗戦後に、外務省の指導により中国人労働者を使用した企業側の手で取りまとめられたものである。このような報告書の成立経過を考えれば、企業側・事業場側の自己保身もしくは自己弁明的な意識が、その作成過程で大いに作用したであろうことを無視はできない。いずれにせよ、報告書の記載内容に関しては、批判的な視点が必要であると思われる。

衣と食の実態    P1270−P1271

 最後に、こうした中国人の日常生活、衣・食・住の状況について述べておこう。報告書は、

 被服ハ、受入ト同時ニ作業服上下、地下タビ、軍手、印伴天、帽子、真綿背当等ヲ支給シ、防寒外套ハ当時、入手困難ノ為メ已ム無ク麻袋ヲ改造、防寒外套ノ代用トセシメタリ、又、土地不馴ノ為メ寒ムサニ耐イヌ者ニハ、前記麻袋ヲ防寒服上下及防寒帽等縫製シ、別ニ支給ス、
 外ニ藁手袋、(藁製)ツマゴ等ヲ支給、万全ヲ期シタリ、
 主食ハ、配給量ニ作業労務特配ヲ受ケ、一日五合一勺ノ量トナリ、副食物ニ於テモ配給外ニ各方面ヨリ買入レ、日鮮人ニ比シ待遇良好卜認ム、
 医療方面ニ於テハ、受入ト同時ニ市内朝日病院々長増田悦氏ヲ嘱託トシ、帯患者、病弱者及怪我等ニ対シ万全ヲ期スル一方、皮フ薬、腹病薬、風邪薬等ヲ準備ス

 と記している。改造した麻袋を、防寒外套として中国人に支給したとの記述があるが、このような点にはリアリティーが感じられる。しかし、宿舎での中国人の食糧事情が、「日鮮人ニ比シ待遇良好」であったか否かは疑問が残ろう。
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