「函館市史」トップ(総目次)
第3章 戦時体制下の函館
第5節 戦時下の諸相
3 強制連行と捕虜問題
3 中国人の強制連行
戦時体制と労働力
外地労働者移入組合
中国人労働者の処遇案
職業紹介法の制定
閣議決定と試験的移入
函館の事業場
(株)地崎組の中国人使役
(株)地崎組函館出張所の場合
函館華工管理事務所の場合
中国人労働者の生活
中国人の帰還
|
閣議決定と試験的移入 P1258−P1259
このような経過の後に、中国人労働者の強制連行が実際に開始されるのは、前述したように昭和17年11月の閣議決定を起点としている。この閣議決定とは、「内地ニ於ケル労務需給ハ愈々逼迫ヲ来シ特ニ重筋労働部面ニ於ケル労力不足ノ著シキ現状ニ鑑ミ左記要領ニ依リ華人労務者ヲ内地ニ移入シ以テ大東亜共栄圏建設ノ遂行ニ協力セシメントス」るものであり、移入後は、さしあたり「重要ナル鉱山、荷役及工場雑役ニ限」って使用することとした。
中国人労働者の募集・斡旋の窓口には、昭和16年7月に設立された華北労工協会が新民会労工協会などの現地機関と関係しつつあたることになり、募集労働者の条件は、「年齢概ネ四十歳以下ノ男子ニシテ心身健全ナル者」であった。また、その契約期間は原則として2年であり、同一人を継続使用の場合は、2年経過後の適当な時期に、「希望ニ依リ一時帰国セシ」めなければならなかった。
表3−39 中国人を試験的に移入した事業場
事業場名
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事業場到着年月日
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連行人員
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日鉄鉱業 二瀬鉱業所高雄第二坑
〃 〃
三井鉱山 田川鉱業所第二坑
〃 山野鉱業所
東白本造船(株)函館工場
〃
神戸船舶荷役会社
伏木海陸運送会社 |
昭和18年7月11日
〃 11月27日
〃 7月11日
〃 11月17日
〃 8月3日
〃 10月10日
〃 9月9日
〃 4月16日
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人
133
79
134
211
243
188
210
222
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合計
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1,420
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『草の墓標』(新日本出版社、昭和39年)より |
この閣議決定により、昭和18年4月から中国人の「試験的」移入が実施され、日本国内の各事業場に連行されたが、その状況は表3−39のようになっている。この表にみられるように、本州の4事業場と共に東日本造船(株)函館工場が名を連ねており、同工場には計431人の中国人が連行されたのである。これらの中国人は、いずれも日本の敗戦後に帰国したが、第2陣の188人の労働者の中からは、翌19年2月までの間に2人の死亡者を出している。
さらに昭和19年2月28日、東条内閣は次官会議で「華人労務者内地移入ノ促進ニ関スル件」を決定し、中国人労働者の連行が本格化する。この次官会議決定では、移入する「華人労務者」の「供出又ハ其ノ斡旋」は、大使館や現地軍、国民政府指導の下に、華北労工協会等の現地労務統制機関を通して実施することとし、「訓練セル元俘虜又ハ元帰順兵」で「可成三十歳以下ノ独身男子」から優先的に選抜する計画であった。
このようにして、昭和18年4月以降同20年5月にかけて、中国から日本本土に向けて計3万8939人(『資料 中国人強制連行』(明石書店、昭和62年)、「外務省報告書」の集計によれば、3万8935人になるという)の中国人労働者が連行され、135事業場に送り込まれた。この内、北海道では58の事業場に延べ1万9632人の中国人が配置されたが、その中から函館市の関係分を抜き出すと表3−40のようになる。
表3−40 函館に連行された中国人
事業所 |
東日本造船(株)
函館工場 |
瀬崎組
有川出張所 |
日本港運業会
函館華工管理事務所 |
(株)地崎組
函館出張所 |
(株)菅原組
函館出張所 |
契約数 |
445
|
350
|
|
300
|
400
|
移入 |
乗船 |
1次(18.7. )243
2次(18.9. )188 計431 |
(19.9.6)299 |
|
(19.11.21)225 |
(20.1.25)396 |
上陸 |
1次 243
2次 188 計431 |
(19.9.12)299 |
|
225 |
(20.2.1)390 |
受入数 |
1次(18.8.3)243
2次(18.10.10)188 計431 |
(19.9.17)298 |
(19.9.20)102 注4
(19.9.20) 3 注5
(19.12.5)130 注6
(20.3.31)240 注7
計 475 |
(19.12..7)225 |
(20.2.6)385 |
転出数 |
1次(19.9.15)300 注1
2 注2
2次(19.9.15)102 注3
計 404 |
|
(20.2.20)6 注8 |
(20.4.15)218 注9 |
(20.5.23)180 注10
残 205 |
事業所内減員 |
死亡 4(1次1)
(2次3)
帰国22
不明 1
計 27 |
死亡19
帰国 3
計 22 |
死亡68 |
死亡7 |
死亡19 |
送還時現在数
出発数 |
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276
(20.10.19)276 |
401
(20.12.6)383 |
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186
(20.12.2)186 |
『資料 中国人強制連行』明石書店、昭和62年より作成。
注)( )内は年月日を示す。(18.8.3)は、昭和18年8月3日の意味である。
注1:港運船川へ 注2:地崎組北海道へ 注3:港運函館へ 注4:東日本(造船)函館より 注5:地崎組平岸より 注6:港運神戸より 注7:港運伏木より 注8:地崎組北海道へ 注9:地崎組大野へ 注10:菅原組門静へ |
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