通説編第3巻 第5編 「大函館」その光と影 |
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第3章 戦時体制下の函館 2 朝鮮人の強制連行 朝鮮人労働者の抵抗 |
朝鮮人労働者の抵抗 P1250−P1251 このような状況のなかで、朝鮮人労働者の強制労働に対する不平不満が、さまざまな形で表面化するのは当然のことであった。入寮直後の函館船渠では、「食物が悪いとか少とかいうては不平を並べ」る者がいたと前掲紙に記されているが、内務省警保局『特高月報』昭和19年2月分には、前年の昭和18年10月18日、函館船渠の「朝鮮人寄宿舎」で起きた次のような事件が記載されている。北海道函館市新浜町所在函館船渠会社移入朝鮮人労務者寄宿舎至誠寮便所内に、客年十月十八日寮事務員等を脅迫せる左記の如き不穏落書きあるを会社側に於いて発見せるを以て、所轄警察署に於いては犯人厳重捜査の結果、容疑者として同寮移入朝鮮人労務者松本栄萬を検挙取調の結果松本は無届欠勤を寮舎監川村某に叱責されたるを遺恨とし寮事務員及び舎監等を脅迫せんとしたるものなること判明し、同年12月20日脅迫罪として所轄検事局に一件書類のみ送局せり。 「不穏落書き」の具体的内容は不明であるが、厳格な寮生活に対する朝鮮人労働者の不満が、常に存在していたことの現われであろう。また、「旧陸海軍関係文書」によれば、東日本造船函館工場でも、昭和20年3月9日、「移入朝鮮人」(192人)の3期生職場隊長が、前年よりその地位を利用して不敬言動があり、「朝鮮独立宣伝煽動」の容疑で検挙されるという事件が起きている。 戦時下の新聞記事には、「半島戦士」の勤労を美談的に紹介している場合が多い。函館船渠青雲寮の場合も、先に触れたように「増産と貯蓄」に励む朝鮮人の姿が好意的に取りあげられ、その陰には、同寮の西村舎監の指導による所が大きいとされている。ちなみに、西村舎監の指導とは、「彼等とともに起居することは勿論、朝夕の出、退寮のときは必ず送迎」するというものであり、このような寮舎監の存在は、立場の異なる朝鮮人労働者からみれば、「脅迫的不穏落書き」の対象でしかなかったのである。 この他、運輸関係では、多くの朝鮮人が、中国人と同じく函館駅や海岸町の現場で荷役作業などに従事していたが、その実態については不明な部分が多い。 |
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