通説編第3巻 第5編 「大函館」その光と影 |
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第2章 20万都市への飛躍とその現実 第7節 都市の生活と新しい文化 2 大火と都市形成 火防設備期成同盟会の建議 |
火防設備期成同盟会の建議 P721−P722 明治40年の大火後には、火災予防組合のような市民による防災意識の高揚を目的とする動きばかりでなく、火防設備についての調査や火防全般についての調査などが実施されている。火防設備期成同盟会は、「火事と云えば函館、函館と云えば火事を連想さるる迄に昔は江戸の花と謡われし火事の今や函館のものとなり、火災保険の如きは他府県に比し十倍も二十倍も高く、昨今柾葺の家に對つては頭から相談に乗らぬと云ふ程に著しく危険視せらるるに至れり是れ一人一己の罪にあらず十万区民の生命財産に関する焦眉の重大問題、明日とは云はず眼前只今、之れを解決するにあらざれば今後の函館は又、取返へしの著かぬ運命に陥らぬとも限らず…」との趣意をもって武富平作らが火防に関する調査を実施し同会を発起した(大正2年5月25日付「函新」)。火防設備期成同盟会は、大正2年6月4日に区会議員、商業会議所議員、各町火災予防組合長らの出席した協議会において賛成を得て設立された(大正2年6月4日付「函新」)。 火防設備期成同盟会の建議案の内容は、「河川引用水道の分管支線の安排変更、蒸気ポンプ二台購入、其他消防隊の組織変更、消防夫の手當増加を決行すること」(大正2年7月19日付「函新」)というものである。この建議案は、区会において蒸気ポンプ増設費や非常用水道事業費などが大正2年度の臨時事業費として経常され、消防組組織の変更も函館警察署長より照会があって大正4年4月から増員されていることなどから、火防設備において進展をもたらしたのである(「大正二年 函館区会議事録」)。 |
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