通説編第3巻 第5編 「大函館」その光と影 |
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第2章 20万都市への飛躍とその現実 第7節 都市の生活と新しい文化 2 大火と都市形成 火災予防組合の設置 |
火災予防組合の設置 P719−P721 明治40年の大火後に都市空間の変容はほとんど見られなかった。その理由は、前述したとおり区の財政事情が大きな要因と考えられるし、「函館は現今に於て同市街の発達其頂点を過ぎ居りしものなれば、一度今回の如き大災害来らんには旧形に回復することは六ケ敷かるべき」(明治40年9月8日付「北タイ」)という状況も影響していたのである。しかし、この頃になると火災予防の施設だけでなく防火意識に注意を向けるようになってきたのである。つまり、発火原因に注目しそれを防ぐためには「一般民衆に警火の観念を興へ、隣保相団結せしめて、必要なる施設をなさしむるより外ないのである、この目的を達するには、勢ひ火災予防組合とも居ふべきものを組織して、小より大を及ぼし、近きより遠きに及ぼす方法に依らねばならぬ」(明治43年5月11日付「函毎」)と火災予防組合の必要性を青森県の事例を紹介しながら説いている。その青森市は、この効果を生む前に5月3日全滅に近い大火に見舞われた(明治43年5月5日付「函日」)。このような時期に、豊川町に「火災予防組合」が設置され、その規約第1条に「當組合は隣保相団結して火災予防の實を挙げ及び不慮の火災なからしむるを以て目的とする」ことが銘記されている(明治43年6月3日付「函毎」)。また、同年11月に北海道庁令第109号として「火災予防組合規則」が公布されている。その後、豊川町に続いて他の町でも火災予防組合が設立され、大正3年に連合会が組織されたのである(大正3年1月18日付「函新」)。 |
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