通説編第3巻 第5編 「大函館」その光と影 |
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第2章 20万都市への飛躍とその現実 第4節 戦間期の諸産業 5 函館における銀行業の展開と金融事情 金銭貸付業と漁業投資 |
金銭貸付業と漁業投資 P400−P401 函館における金融は銀行以外に金銭貸付業が大きな比重を占めており、函館の職業構成上でも重要な位置にあった。大正中期と昭和初期の有力な代表的な金銭貸付業者を表2−42に掲げた。いずれも相馬哲平の経営する相馬合名会社もしくは(株)相馬商店が巨額の運転資金を有して他を大きく引き離す首位の座にあるが、彼は明治期からこの金銭貸付業を代表する人物であった。これについで長谷川合名会社の経営者である長谷川藤三郎や近藤合資会社の経営者である近藤孫三郎がトップグループに名を連ねている。ちなみに長谷川は樺太漁業で頭角を表した人物で、後に露領漁業にも着手するが、彼は他の漁業者に貸付を行っている。金銭貸付業者は金融機関を補完する存在として地域経済のなかにあって重要な役割を担ったが、とりわけ明治末期から大正期にかけては露領漁業などの漁業への資金投資を行っている。露領漁業の個人出漁期においては経営不安定な漁業への融資に銀行筋は警戒感をもっていたこともあり、函館の金銭貸付業者は漁業者への投資を積極的に行っていた。例えば明治42年の『殖民公報』(第47号)によれば函館が漁業資金として融資する額は年に5〜600万円となり、そのうち樺太・沿海州には400万円以上、その他は道内の漁業向けで、融資形態は抵当貸付や仕込あるいは青田売買と呼ばれる方法が取られていたが、これらの多くは金銭貸付業者に依拠したものであった。その間の事情を函館商業会議所は「本区商業と最も密接なる関係を有する露領亜細亜、樺太及千島に於ける漁業資金は個人金融業者の放資する所にして其金利亦不廉を極め漁業の利益は殆んと此等金貸業者の利得と化」すると述べて、漁業融資は市中銀行が対応しないために、函館の金貸業者の独壇場であったとしている(明治43年『殖民公報』第52号)。
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