通説編第3巻 第5編 「大函館」その光と影 |
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第2章 20万都市への飛躍とその現実 第4節 戦間期の諸産業 5 函館における銀行業の展開と金融事情 本店銀行の増資と資金流出 |
本店銀行の増資と資金流出 P386−P388 第1次世界大戦がおきて経済界が未曽有の好況をみせると、これに伴い諸取引が急激に膨張した。函館の本店銀行である百十三銀行と函館銀行は、ともに資本金が100万円であったが、両行ともこうした情勢を背景とした市中の金融市場の実勢に対応できず、資本増資を図ることにした。百十三銀行は大正7年1月の定期株主総会で増資を決定し、従来の100万円を倍額の200万円とした。いうまでもなく増資は資金需用の大幅な増加に対応するためのものであった。各株主も新規増株に呼応し、同年4月に引き受けが終了した。さらに9年3月の臨時株主総会では300万円を増資して500万円とする増資案が提案されたが、その時点では戦後の反動不況ということもあり決議は実行に移されなかった。一方の函館銀行は百十三銀行に足並みを揃えるように同じく7年に200万円へ増資した。函館の金融市場は大正9年で例をとると預金3億円、貸付金4億円、手形取組高1億8000万円、為替・荷為替が1億6000万円という非常に大きなものであった。したがって百十三、函館の両行は資本金を増資したといってもその占める割合は小さく、膨大な資本を背景とした支店銀行が有利な取引をしていた。そうした優位のなか、支店銀行は市場の優先権を掌握しつつ函館の資金(預金)を集めたために、他の地方へ資金が流出していった。その結果、地元での資金需用に一定の制限が加えられ支店銀行への依存体制が強化されていった。地元銀行の増資も抜本的な解決を与えはしなかった。ちなみに大正4年から8年の間に函館から他都市へ流出した資金は4年で4929万円、5年が8571万円、6年は5810万円、7、8の両年はともに1億円台を越えるという驚異的な数字を示した。資金貸出しもたとえば大正9年における輸出食品(株)等の大手の漁業会社4社への漁業資金2900万円は第一銀行函館支店、第三銀行函館支店、拓銀函館支店、それに朝鮮銀行が行い、10年に合同した日魯漁業(株)への1000万円の融資もその大部分は朝鮮銀行が行い、地元の両行は全く関与しなかった(大正10年3月18日〜20日付「函毎」)。翌11年の日魯漁業への仕込資金に対する融資も銀行筋では朝鮮銀行、第一銀行、十二銀行(「函館組合銀行資料」)であり、やはり地場銀行の名をみることはできない。表2−39は大正7年および10年における函館市中の銀行別の預金・貸付高であるが、両年ともに市中銀行の預金・貸付総額に対して函館の本店銀行4行が占める割合は、預金・貸付のいずれも30%前後である。支店銀行の優位がこのことからも十分うかがえよう。
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