通説編第4巻 第6編 戦後の函館の歩み


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第2章 高度経済成長期の函館
第3節 函館の産業経済の変貌
5 高度経済成長期における函館工業界の実情

造船・北洋関連産業の不振

失業多発地帯という環境

海運市況の復興と造船ブーム

水産食品工業の伸展

臨海工業地帯の造成

公害問題と企業の対応

北洋関連企業の消長

転換期を迎えた工業界

函館を支える食料品製造業

落ち込む輸送機械工業

一般機械工業の動向

工業構造の転換による明暗

一般機械工業の動向   P463−P464


ウロコ製作所の「フルムーンチャージャー」(『ウロコの歩み七十年史』)
 この分野では独自の技術を持つ企業の努力により、オイルショック以降もほぼ業績を維持していたといえよう。具体的に何社かの企業の動向を紹介しておこう。
 合板機械のウロコ製作所は、昭和40年代は国内の合板機械の需要が旺盛で、韓国への輸出も好調であり、47、8年は好況を呈したが、オイルショックによる住宅建設の落ち込みで、合板業界は構造不況業種となり、輸出の不振とも重なって、50年代初頭はかつてない苦況に直面した。しかし、53年から韓国への輸出が再び伸び、インドネシアへの輸出が本格化して、売上高の67パーセントを輸出が占めるに至った。すぐれた技術の実績をもつ同社は56年に米国のATA社と連携して、コンピューター方式の画期的な製造ラインのシステム化に成功したが、さらに60年には自社独自の開発ソフトによる特殊センサー装直の「フルムーンチャージャー」が完成、同社の主力機械となっている。汎用高級機種の自社ソフトならびにハードの開発で、国内ではトップクラスの地位を確保している(株式会社ウロコ製作所『ウロコの歩み七十年史』)。
 昭和37年に東洋製缶の傘下に入った本間鉄工場は、空缶・容器の製造機械、缶・びん詰用諸機械の製作にあたっているが、缶詰、ビール、清涼飲料水メーカーなどの新容器開発需要、またアルミ缶対応機種への更新需要、医療機器メーカーからの新規受注など親会社から順調な発注があった。昭和61年にはソ連へ小口の輸出成約があった。東和電機製作所はいか釣り機専業のトップメーカーとして、国内の同業者4社と激しい競争を展開しているが、漁船を工場システム的に考えて開発設計をすすめる独創的な技術をもち、機器実験の試験船を所有してたえず新技術の導入を図っている。全国漁業共同組合連合会の販売ルートをもち、本州に3か所の出張所をおいて漁業者のニーズにこたえる体制をとっている(各社提供資料による)。
 昭和60年の函館の鉄工業界全体の売上は312億で、そのうち水産加工業からの受注が6.7パーセント、漁業関連は21.7パーセントである。漁業水産加工関連合わせて28.4パーセントと高い比率を占めていて、函館の鉄工業界は、漁業・水産加工機器製造に特化していると分析されている(北海道『特定地域診断勧告書(函館市)』)。
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