通説編第4巻 第6編 戦後の函館の歩み |
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第2章 高度経済成長期の函館 函館を支える食料品製造業 |
函館を支える食料品製造業 P459−P460 食料品製造業のなかでも「水産食料品」の出荷額が最大で、昭和53年以降は、400億円台で着実に伸びており、続いて出荷額が大きい「乳製品」は市乳(飲用乳)のほかに練乳・粉乳の加工乳製品の伸びがあり、53年の100億円が63年には205億円に成長している。従業者数では、女性労働力を主力とする水産食料品は3000人台で、53年より63年の方が増加している(市総務部提供「工業統計調査結果」)。次に飼料および食用油脂製造の日本化学飼料の経営の推移をみよう。昭和52年に売上高200億円を達成するが、このあと200カイリ問題による魚類の水揚減少に直面し、2度目のオイルショックでは、魚体蛋白からSP飼料を製造する工程がエネルギー多消費型であったため、石油価格の高騰に苦慮した。また配合飼料の販売に関しては、国際的に競合する米国の大豆油、東南アジアのパーム油などがあって、とかく過剰傾向であり、とくに円高の際には価格下落が大きかった。同社は収益確保のために、省エネルギー、人員整理、工程の見直しによるコストの切下げに努力を払い、原料の高度利用、新製品開発に注力した。この結果、魚粉の生産が伸びて、昭和58年には主力のSP飼料と魚粉の地位が逆転した。また、魚油、精製魚油については、函館港からの直積輸出の基盤が確立して、函館税関史上第2位の出荷額という画期的な記録を樹立している。なお、魚油の精密化学製品であるコレステロールの販売も国内、海外で順調に伸張した。とくに新製品の開発では、「世は健康の時代」にマッチするEPA(エイコサぺンタエン酸)の生産や誘引餌料の製品化が進んだ(『日本化学飼料二〇年史』、各年『日本化学飼料株式会社営業報告書』)。 昭和60年4月から、日本たばこ産業株式会社函館工場としてスタートした桔梗の函館工場は、北海道唯一のたばこ工場で、昭和50年代の生産量は約70億本、おもに北海道内に供給している。5銘柄を製造するが、マイルドセブンがもっとも多かった。63年の従業員292名のうち、女性は92名である(日本たばこ函館工場提供資料)。 |
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