通説編第4巻 第6編 戦後の函館の歩み


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第2章 高度経済成長期の函館
第3節 函館の産業経済の変貌
5 高度経済成長期における函館工業界の実情

造船・北洋関連産業の不振

失業多発地帯という環境

海運市況の復興と造船ブーム

水産食品工業の伸展

臨海工業地帯の造成

公害問題と企業の対応

北洋関連企業の消長

転換期を迎えた工業界

函館を支える食料品製造業

落ち込む輸送機械工業

一般機械工業の動向

工業構造の転換による明暗

北洋関連企業の消長   P456−P458

 先細りが懸念されていた北洋漁業関連企業であったが、昭和40年代以降はどのような経過をたどったのだろうか。函館市内の企業から北洋向けに調達された物資の合計金額の推移をみておこう(図2−29参照)。
 昭和49年をピークに、北洋漁業による需要はどんどん低下していったことが明らかである。このうちの大部分を占めたのが、上図のように漁網・漁具であった。転換を迫られた各企業は、積極的に新製品の開発をおこない、また新たな輸出先の開拓をするなどして、なんとか業績の維持を図った。
 具体的に函館製網船具の動向を同社提供資料からみておこう。北洋漁業の先行きが不安であるという見通しから、同社はこれまでの「局地的北洋サケ・マス漁網メーカー」から漁網以外のあらゆるネット(ダム用の防塵網など)の需要を開拓する「総合ネットメーカー」を目指し、さらには「漁民のデパート」をも志向するに至った。漁船の機械化が進むなかで、省力漁撈機器の開発はもとより、「船ぐるみ発注」つまり新造漁船の装備・機械の一括受注により、収益率の向上を図ろうとしたのである。しかし、漁網や油圧魚撈機器以外での開発には失敗が多かった。
 昭和50年代の売上高をみると、50年に大幅に前年を下回る減収減益があったほかは、一進一退の横ばい状況であった(図2−30参照)。主力となる漁網部門の売上高が全体に占める比率は、60パーセントを上下している状態であった。その内容をみると、米ソの200カイリ制限による北方海域漁業(サケ・マス流網、遠洋底曳網、沖合底曳網)の休漁、減船によってこの方面への漁網の納入は大幅な縮小となった。かわってそれを補填したのは、沿岸漁業(定置網、養殖関連、旋網)そしてイカ刺網だったのである。
 このほか、カナダ、米国などへの漁網輸出、またソ連向け漁網の製造設備の輸出があった。また「特殊結節漁網」の開発があったが、40年代の油圧式漁撈機器のような収益性の高い製品はとぼしかった。
 一方、エンジン部品、イカ釣器材、舶用機器、航海機器などの海上機械の取扱いが増加している。さらに、54、5年頃からダム流木・流芥防止装置や塵埃焼却設備、水産流通資材などの産業機械、そして農業基盤整備事業関連資材など、道内市場を主体とする土木、水産、農業用資材の取扱いに力をいれた。これら事業の情報を得るため、また取引先の北海道漁業組合連合会も所在しているので、札幌市にある同社支社内に営業本部を移転した。
 昭和63年頃の経営方針は、漁網および海上機械部門の沿岸指向をさらに促進するとともに、陸上分野における事業展開を積極的におこなうということで、まさに北洋漁業からの脱却が図られたといえよう。
 その他の北洋関連企業の動向に簡単にふれておくと、「浮子(うき)」を製作していた道南漁業資材では、昭和38年に、合成樹脂を原料とする中空成型法によるポリエチレンフロート(ポリ玉)の新製品を開発した。この新製品を北洋サケ・マス漁業をはじめ沿岸漁業向けにも出荷し、また輸出もおこなった。41年には経営破綻したが、三馬ゴムの系列下で再建をはかり道内唯一の浮子製造工場として事業を継続した。200カイリ問題後はスチロール容器(魚函用、加工製品用)と沿岸漁業向けのポリ玉の生産が多くなった。缶詰の空缶を製造していた北海製缶は、昭和40年代の売上高は15億円で横ばいであったが、48年には本社工場に吸収され、函館工場は閉鎖された。缶詰機械メーカーの日新造船工機は、昭和36年に社名を日魯工業と改め、会社を横浜に移して梱包機械を生産した。また三和工業は函館本社工場のほかに、町田市に工場を建設してソ連の缶詰機械を受注生産したが、それが終わってから経営が困難になり、35年に廃業している。これに代わって正和工機が北洋漁業のほか国内のイワシ、サバ缶詰機械を生産した。なお函館船具では、昭和38年には1億6000万円の売上高だったが、北洋向け以外に函館ドックからの受注が加わったため、48年には6億円とピークに達した。そのあとは、販路を日本セメント、日本化学肥料、沿岸漁業向けとしたが、売上高は4億円台に減少している(前掲「戦後の函館の機械工業の動向」、函館機械関連工業連絡協議会『函館機械関連工業の歩み』、各社提供資料より)。以上みたように北洋漁業の縮小にともなって、撤退したものもあるが、新しい販路を開拓して切り抜けた企業もあったのである。
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