通説編第4巻 第6編 戦後の函館の歩み |
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第2章 高度経済成長期の函館 海運市況の復興と造船ブーム |
海運市況の復興と造船ブーム P445−P449
新造船の受注は輸出船中心で、得意のバラ積貨物船は、二八型といわれて載荷量2万8000トン前後であるが、同型船がこの頃から昭和59年までに59隻建造されている。欧州船主に大変人気があり、載荷量が多く使いやすい船で、中古船市場では1割高いといわれていた。また「ミニバルカ」と呼ばれる3100トンクラスの河川運搬船も多数建造され、アメリカ内水海面で使用されていた。そして「パナマックス」と呼ばれたパナマ運河を通過できる最大の船(7万4000トン)が建造される昭和41年からは、造船所としての格があがったといわれたのである。 また国内船では、これまですべて本州の造船所で建造されてきた青函連絡船が、初めて函館ドックで建造されたのが、昭和39年のことであった。第1船は松前丸(総トン数7800トン、18億4000万円)である。本州の造船所で建造された同型連絡船にくらべて、トラブルがなく、船の震動も少ないといわれる優秀船であった。 そのほか、国の内外で実力の認められている特殊作業船の建造もあって、新造船部門の売上高は昭和43年度に100億円をこえた。38年度から45年度までの設備投資額は約40億円で、船台の拡張、乾ドックの延長、岸壁の延長、その他の合理化投資であった。もっとも、新造船部門の収益率は低く、とくに昭和38年から39年頃は価格を低くして売上高を伸張させるのが方針であったから、38年の総資本利益率は0.45パーセント(同業他社、3.1パーセント)にすぎなかった。 第3次輸出船ブームとなった昭和42年には、選別受注ができるようになったので、総資本利益率は0.6パーセント(他社1.7パーセント)とわずかに上昇した。これは、38年、39年の赤字受注船の引き渡しが終わり、二八型を中心とする同型船効果、量産効果と、金融緩和による金利の低下、輸出船建造資金貸出取引の開始などにより、ようやく適正マージンが確保できるようになったからである。売上高利益率をみると、38年の1.1パーセント(他社5.5パーセント)が、41年には2.7パーセント(他社2.9パーセント)と好転した。 収益率に寄与したのは修繕船部門であって、収益率は15から16パーセント、しかも代金は早期回収ができた。修繕船部門を担当する函館ドック下請協同組合(21社)の売上高は年間6億円であった。陸上部門は39年から「上陸作戦」と称して、鉄構工場も新設したが、新造船ラッシュのため、陸上部門生産の8割を占める室蘭製作所の乾ドックが16年ぶりで造船にあてられるようになり後退した。鉄構製品の機種も新規開拓はやめて、官公需が中心の橋梁、鉄骨およびタンク、ボイラーを主とするようになった。ただし、ボイラーは競争が激しく利益はなかった。 ともあれ、人件費の高騰に対処して、社外工の比率を高めたが、設備、規模の拡張に応じて、地元の下請企業の増強と組織化を図った。昭和42年頃で、人手中心の社内外注が60社、物が中心の社外外注が20社、計80社の年間発注額は16億円となっている。育成を図った系列企業には、函館工機、川村造船鉄工、本郷組などがある。
なお、輸送用機械以外の鉄工・機械製造業の生産額は、30代は20数億円、40年前半は40数億円であった。受注先別でみると、造船関連には、船舶補機、煙突、タラップを生産する大幸機動興業所、港工作所があり、北洋関連には、缶詰機械、揚網機を生産する正和工機、宮古工業社があった。また、北洋一辺倒からの脱却を図って、地域外の大手の下請けとなった本間鉄工場(東洋製缶)は製缶、缶詰機械を製造し、村瀬鉄工所(久保田鉄工)は水道異型管を製造した。独立専門メーカーとしては、合板機械で全国シェア2位のウロコ製作所、炭鉱向け超合金工具(ビット)では道内シェア80パーセントの登喜和産業(トキワ製作所)があった。また、自動イカ釣り機では全国でトップのシェアをもつ東和電機製作所があった。上述の各工場は、地域内の主要業種に関連して発達した歴史をもつが、北洋の先細り、道内市場の狭隘など立地条件の不利を克服するために、需要地の近くに工場を建設した企業として、村瀬鉄工所(札幌市)、ウロコ製作所(平塚市)、登喜和産業(鴻巣市)、日魯工業(横浜市)、富岡鉄工所(室蘭市)などがあった。このほか、地元の主力産業である水産加工業をはじめ、広く各地に加工、調理機械を供給するタイヨー製作所ほか数社の工場があった(前掲「函館の機械工業の動向」、その他各社提供資料による)。 |
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