通説編第3巻 第5編 「大函館」その光と影 |
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第3章 戦時体制下の函館 学校転換 |
学校転換 P1208 戦局が転換し、厳しい局面を迎えた昭和18年には、学校転換に関する文部次官通牒、そして翌年には道庁通牒が発せられ、男子商業学校および家政女学校などの転換による、工業学校・農業学校・女子商業学校の拡充が図られていった。函館でも、学校転換が実施され、函館高等計理学校が函館化学工業学校へ転換することとなった(『北海道私学教育史』)。文部省告示は、「函館高等計理学校ヲ昭和二十一年三月限廃止シ、中等学校令ニ依リ左記実業学校ヲ設置シ昭和十九年四月ヨリ開校ノ件昭和十九年三月五日認可セリ」(昭和19年4月26日文部省告示第551号)と、函館化学工業学校の設置を伝えている。 この学校転換の際も、庁立函館商業学校は、その歴史から工業学校へとかわることなく商業の学校として維持し続けた。 その他、昭和10年の結成以来、熱心な同人たちの実践が、多大な成果を収めつつあった北海道綴方教育連盟に対して、昭和15年から翌年にかけて、弾圧の手が伸び、多くの良心的な小学校教師たちが、いわれのない犠牲を強いられたことは、決して忘れられてはならない事実である。この事件の関係者の中には、函館市内の小学校教師も含まれていたのである(平澤是曠『弾圧』)。 |
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