通説編第3巻 第5編 「大函館」その光と影


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第3章 戦時体制下の函館
第5節 戦時下の諸相
1 戦時下の宗教

宗教界にとっての「昭和」

国家神道の要としての神社界

仏教寺院の戦争協力

銃後の教派神道

「体制宗教」化で苦悩するキリスト教

宗教界にとっての「昭和」   P1209−P1210

 明治から大正期に構築された函館宗教界の基本的構図である神社・既成仏教および「自宗教」化する教派神道によって形成される「自宗教」=「体制仏教」と、これに対峙するキリスト教界の「異宗教」という、函館におけるまさに「自宗教」と「異宗教」の図式は、昭和に入って、どのような歴史的転回をとげるのであろうか。結論的に言えば、その基本的図式は何ら変わることなく続いた。より正確にいえば、「異宗教」たるキリスト教も、戦争協力体制下に及んでは、その「異宗教」たることを許されず(後述)、「体制宗教」化されることを余儀なくされた。
 昭和史は、その初年の満州某重大事件(昭和3年)や満州事変(昭和6年)を緒戦に火ぶたを切り、昭和12(1937)年の「日華事件」によって本格的に突入した世にいう「日中戦争」を歴史の中心軸にして回転し続け、世情はまさに戦争一色に染まって行く。とりわけ、「日中戦争」の勃発は、国民の従来の生活様式を「国家総動員法」(昭和13年)・「産業報国運動」(同14年)・「大政翼賛会」(同15年)および「大日本戦時宗教報国団結成」(同19年)という未曽有の戦時施策によって改変させ、国民を等しくファシズムの道へと引きずり込んでいった。そうした挙国一致の「新体制」下にあっては、宗教世界も例外なく、その体制護持を全うすることを求められる。そこには、キリスト教といえども、「異宗教」であることは容認されず、宗教界は挙げて、「体制宗教」たらねばならなかった。
 それでは、戦争に明け戦争に暮れたともいえる「昭和」の歴史を、函館の宗教界はどう活き抜いたのであろうか。次に具体的に検証してみよう。
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