通説編第3巻 第5編 「大函館」その光と影


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第3章 戦時体制下の函館
第5節 戦時下の諸相
1 戦時下の宗教

宗教界にとっての「昭和」

国家神道の要としての神社界

仏教寺院の戦争協力

銃後の教派神道

「体制宗教」化で苦悩するキリスト教

銃後の教派神道   P1219−P1225

表3−31 昭和期における教派神道の教会・結社教
         (昭和16.3.1現在)
派名 種別
教会数
結社数
総計
天理教
金光教
神習教
神道大数
黒住教
御嶽教
神道実行教
神理教
その他
35
3
2
2
1
1
0
0
0
29
0
8
37
0
39
2
1
0
64
3
10
39
1
40
2
1
0
合計
44
116
160
『函館市史資料集』第12集による
 教派神道が、戦争に明け暮れた昭和の時代にいかに一元化された「体制宗教」として、その戦時体制と関わったかを考える素材として、まず表3−31の「昭和期における教派神道の教会・結社教」を示し、その上で、その具体的実態とその教信徒数を教会および結社について表3−32「昭和期における教派神道の教信徒数」、表3−33「昭和期における教派神道系の結社」として表示することにする。
表3−32−A 昭和期における教派神道の教信徒数(教会)
a.天理教
名称
所在地
教徒
男/女
信徒
男/女
敷島大教会北明分教会
山名大教会北港支教会
名京大教会函館支教会
郡山大教会北開支教会
敷島大教会北光支教会
高安大教会洲本分胆振支教会巴港宣教所
名京大教会甲府分教会北巨摩支教会松風宣教所
中和大数会津軽分教会岩本支教会北辰宣教所
肥長分教会肥館宣教所
水口大教会佐野原分教会富士原支教会高大森宣教所
敷島大教会北明分教会北頭宣教所
敷島大教会北明分教会北稜宣教所
郡山大教会北開支教会北千代宣教所
郡山大教会桃園分教会園生宣教所
甲賀大教会蒲生分教会勢山支教会北洲宣教所
南海大教会箕島分教会近津支教会北鳳宣教所
敷島大教会北明分教会北一宣教所
敷島大教会光運宣教所
湖東大教会金城支教会松前宣教所
甲賀大教会秩父分教会室由支教会至誠宣教所
越之国大教会山東支教会北館宣教所
島ヶ原大教会花巻支教会千代花宣教所
高安大教会洲本分教会胆振支教会寿都宣教所
水口大教会上川分教会北都支教会北新川宣教所
南海大教会箕島分教会近津支教会勢鳳宣教所
敷島大教会北明分教会北沿宣教所
敷島大教会岡分教会岡館宣教所
水口大教会上川分教会小樽港支教会五稜郭宣教所
兵神大教会夕張分教会幌向支教会北八洲宣教所
高安大教会高社宣教所
高安大教会洲本分教会胆振支教会弥生宣教所
東本大教会函館宣教所
郡山大教会北開支教会恵比須宣教所
敷島大教会北海分教会道宣教所
島ヶ原大教会花巻支教会北湯川宣教所
大川町49
蓬莱町36
杉並町62
千代ヶ岱町134
谷地頭町10ノ2
栄町11ノ9
五稜郭町167
新川町76
新川町16ノ2
乃木町65
宝町20
北浜町57
的場町14ノ4
千歳町1
船見町31
元町48
千歳町22
大森町12ノ2
大縄町20
新川町8ノ1
万代町288
松蔭町12
本町84
宇賀浦町3
高砂町111
宮前町187
堀川町6ノ5
松蔭町36
千代ヶ町52
西川町5ノ2
旅籠町48
松川町26
高盛町5ノ2
春日町11ノ1
鮫川町188
8/18
24/35
19/32
14/21
6/17
12/13
6/8
2/2
21/26
5/10
1/6
2/4
1/2
1/4
不明
13/13
2/6
1/2
1/0
0/2
2/2
1/3
4/5
2/5
11/22
6/6
4/9
1/1
2/7
3/3
3/11
2/1
1/2
3/6
3/2
141/135
296/367
119/134
244/248
70/142
38/34
90/80
107/116
48/83
50/48
9/33
125/137
89/113
104/68
不明
112/138
65/47
20/37
85/92
57/86
112/95
141/148
40/75
150/175
42/51
72/79
42/42
42/44
66/108
50/45
75/83
48/57
86/85
185/140
63/75
  教・信徒数合計
187/306
3083/3440

b.その他
 
名称
所在地
教徒
男/女
信徒
男/女
神習教 直轄竹駒教会所
真力支教会
蓬莱町2ノ1
鍛冶町10
不明
2/5
360/290
82/84
金光教 函館教会所
函館東部小教会所
亀田小教会所
青柳町11ノ6
新川町99
松風町117ノ1
166/235
52/56
21/29
164/290
118/116
40/70
神道大教 大山教会
函館敬神教会
本町111
松川町20ノ3
不明
17/13
不明
120/180
黒住教 函館教会所 大森町65
25/2
42/50
御嶽教 御嶽教養徳教会 千代ヶ岱町75
不明
150
昭和16年「社寺宗教」より作成
表3−32−B 昭和期における教派神道の信徒数(結社)
a.天理教
名称
所在地
信徒数(戸)
敷春布教所◎
幸本布教所◎
湯ノ根布教所
南函館布教所◎
函道布教所◎
誠治布教所
函恵布教所◎
京館布教所◎
本多紀布教所◎
総函布教所◎
睦美布教所
函誠布教所
道画布教所(道館布教所)◎
北青函布教所(青函布教所)◎
北昭誠布教所(昭誠布教所)◎
昭本布教所(昭徳布教所)
東館布教所◎
北弘徳布教所(北日布教所)◎
龍栄布教所(北栄布教所)◎
岩港布教所(栄布教所)
撫北布教所(養南布教所)◎
理館布教所(弘和布教所)◎
御館布教所(北網布教所)◎
松館布教所(大道布教所)
愛館布教所(誠道布教所)◎
湯館布教所(明生布教所)
聖亜布教所(聖誠布教所)◎
元北浜布教所(元浜布教所)◎
函館港布教所(旭光布教所)
春日町9ノ2
松風町6
湯ノ川町189
大縄町3
新川町146
万代町249
恵比須町4ノ1
音羽町2ノ7
曙町7ノ6
松川町125
大縄町106
海岸町1
柳町5
高盛町29ノ6
海岸町131
中島町49
掘川町115
松蔭町12
堀川町47ノ3
松川町7
千代ヶ岱町100ノ2
中島町56
船見町87
松川町21
松川町12
湯川町79
湯ノ川町84
北浜町42
天神町70
40
20
17
105
10
35
8
*20
60
105
21
10
*105
*105
*52
12
*7
35
10
10
20
8
15
8
10
11
37
15
28
*布教者2人 信徒数(戸)合計
939
昭和16年『社寺宗教』より作成。但し名称の( )は昭和15年『宗教結社届』より作成
注)名称のあとに、◎があるのは、代表者が男で、残りは女。
 
b.御嶽教
名称
所在地
信者数 (人)
八海山五龍結社◎
宝山結社
白川結社
黒龍結社
至徳結社◎
龍神結社◎
神光結社
幸徳結社◎
玉龍結社◎
千歳結社
心明結社◎
白龍結社
神徳結社
敬神結社◎
清瀧結社
清浄結社
三徳結社
覚信結社
神教結社
明光結社◎
三嶽結社
崇神結社
至誠結社◎
神明結社◎
徳心結社
普寛結社
国栄結社
三光結社
一心結社
愛神結社
二十三夜結社
八海山結社◎
覚明結社◎
北栄結社
参神結社
大山祇結社
一山結社◎
海龍結社◎
養神結社
千代ヶ岱町87
旭町12ノ7
松川町27
駒止町4
千代ヶ岱町93
千代ヶ岱町5ノ2
蛾眉野
梁川町106
梁川町106
旭町5ノ18
栄町10ノ1
大縄町4
中島町53
相生町10ノ2
音羽町55
千代ヶ岱町28
大縄町4
本町6
千代ヶ岱町7
蛾眉野38
中島町13
音羽町2ノ9
千代ヶ岱町94
松風町6
柏木町176
千代ヶ岱町58
八幡町154
新川町76
新川町20
新川町88
大黒町13
鶴岡町69
千歳町28ノ1
中島町140
日ノ出町33ノ2
松川町12
松蔭町34
台町48
堀川町42
40
20
10
30
60
150
20
40
15
10
35
100
40
10
20
50
25
20
115
30
20
45
30
20
30
30
30
35
20
25
20
20
50
20
30
20
100
30
30  
表3−33 昭和期における教派神道系の結社
a.神道大数
結社名
所在地
大龍講社
亀田講社
函館松川敬神講社
神明講社
高山福稲荷講社
太平山三吉講社
八幡敬神講社◎
高砂明神講社
大福講社
天豊講社
春日講社
八幡講社
大岩講社
神明講社
豊受講社
大平山講社
千代ヶ岳神明講社
高盛神明講社
白神講社
伏見稲荷講社
函館竹駒講社
白金講社
天照講社
豊川稲荷講社
函館明神講社
三山講社
三吉講社
日天講社
函館高垣講社
函館岩木講社
龍神講社
末倉講社◎
宝稲荷講社
稲荷講社◎
塩竃講社◎
睦講社
八幡講社
万代町39
白鳥町35
松川町129
松川町52
駒場町18
五稜郭町13
海岸町111
高砂町96
海岸町101
本町17
東雲町14ノ2
千歳町25
亀田町28
中島町47
千代ヶ岱町71
柏木町467
千代ヶ岱町1
高盛町6ノ1
千代ヶ岱町31
東雲町23ノ1
大森町34ノ1
湯ノ川町84
的場町15ノ1
東雲町14ノ1
駒止町2
新川町159
仲町69
旅籠町76
戸倉町18
中島町29
松川町9
堀川町27
宝町9
堀川町51ノ2
新川町20
千代ヶ岱町3
時任町
昭和16年「社寺宗教」より作成
注)結社名のあとに、◎があるのは、代表者が男で、残りは女。
 
b.神習教
結社名
所在地
函館敬神講社◎
惟神講社
龍神講社
赤倉講社
照光講社◎
高山講社
弘道講社
白山講社
宝町9ノ2
千歳町7
山背泊町41
大縄町16
時任町118
東川町12
新川町62
新川町3

c.扶桑教
結社名
所在地
分霊講社
佐川祈祷所
参神祈祷所
新川町21
栄町5ノ4
大縄町8

d.神道実行教
結社名
所在地
天道教会信徒結集所
天道教会第二信徒結集所
亀田町185
松川町127

e.神理数
結社名
所在地
海岸町集結所◎ 海岸町119

f.其他の結社
結社名
所在地
惟神会函館支部◎
天明照修徳会函館事務所
成田山◎
如来教団函館支部布教所函館庵◎
妙宗大慈会支部開顯局◎
両忘禅協会北海支部◎
中山鬼子母神講社
出湯大悲優婆尊后講
生長の家函館誌友連合会◎
松縁神道大和山函館支部◎
鶴岡町31
松風町15ノ2
相生町23
大川町16
千代ヶ岱町37
本町39
松川町133
台町51
谷地頭町4ノ10
中島町62
 この3種類の表に示す教派神道の実態をみてどうであろうか。まず、表3−31に見るように、教会数では天理教が抜群に多く35教会に及び、結社数では御嶽教と神道大教が各々39社・37社と圧倒的に多いが、天理教も29社と群を抜いている。総じて、教会・結社の総計では、64を数える天理教が無比の量を誇っている。この天理教について、表に基づき少しくその内容を分析してみると、35に及ぶ教会の専門的な宗教者たる教徒の数は、男187人、女306人の都合493人である。この教徒によって導かれた一般信者は、男3083人、女3440人の都合6523人にも上る。
 一方、29社に及ぶ結社についてみると、この結社に参画した信徒数は、939戸である。
 こうしてみれば、天理教の教会・結社教とその教信徒数の量的多さもさることながら、教会の493人の教徒のうち女性が約62%、この教徒に導かれる6523人の一般信者のうちの約53%を女性が占めていることは、大いに注目される。この女性優位の構成比は、近代都市の宗教状況を考える上で、看過できない数字であろう。
 従って、この教派神道の信仰に占めた女性の量に着目して、次に他宗派について眺めてみよう。
 教会数では、天理教についで3教会と多い金光教の教徒数は男性239人、女性320人、信徒数は男性322人、女性476人というように、金光教の場合も、女性がその教徒・信徒数において男性を上廻っている。
 この他、神習教・神道大数・御嶽教は資料的に不明のため、遺憾ながら全体像を把握しえないが、それでも3教派の信徒数では、ここでも女性の信者が多い傾向を示している。
 では、結社の方はどうであろうか。表3−32−Bが如実に物語るように、御嶽教39社の信徒総数は1445人であり、その結社の代表者をみると、25社が女性、14社が男性という具合に、ここでも女性の優位が際立つ。
 また、神道大数では、37社のうち、全く圧倒的な33社が女性、男性は僅か4社で代表を占めるにすぎない。この女性が優位を占めるのは、この他、神習教が8社中6社、扶桑教が3社中3社というように、やはり女性の代表者が男性を凌駕している。その中にあって、神理教1社のみが男性の代表者であるが、これは前述の構成比全体から見て、女性優位を覆す資料とは決してなりえない。
 よって、教派神道において、その教会の教徒のみならず結社の代表者、さらには信徒の男女構成比から見て、圧倒的に女性の方が男性を量的に上廻っていたことが判明する。これは、ひとつに、男性が徴兵適令者の出征により量的に不足していることも考えられるが、より重大な要因は、女性にありがちな人生の苦難を考え抜こうとする内省性にあるのではなかろうか。彼ら女性はこの内省化を推し進めることを通して、「新宗教」=教派神道へと傾斜していったのではなかろうか。
 実は、この内省的で悩める女性をさらに神仏の世界へと積極的に導く一大要因が、昭和の国策の中にあった。すなわち、政府は銃後を守る婦人たちに「戦ふ皇国婦人たるの自覚に徹せしむると共に必勝生活の確立に寄与せしむこと」を目的にした講習会を開催したり−亀田八幡宮にて開催−(昭和18年9月3日付「道新」)、「婦人を通じ神宮大麻奉斎の真精神を家庭に滲透させ、家庭祭祀の徹底によって日本精神の振興をはか」ろうと家庭祭祀講習会を催したりした−函館八幡宮にて開催−(昭和18年11月2日付「道新」)。婦人に神仏への機縁を与えていたのである。
 このように、教派神道の各宗派は 「体制宗教」としての任を、女性を中心としながら実践していったのであるが、その具体的な姿を天理教の中に検証してみよう。天理教は、戦局が年々深刻化していくにつれ、「体制宗教」者として、「公益事業」に一層挺身していくことが、「事業報告」の中の「勤労奉仕」「国債購入運動」「国防献金」「金属品献納運動」「公共寄附金」「慰問袋」などの事業項目に垣間見ることが出来る(昭和16年『社寺宗教』)。前の64にも及ぶ天理教の教会・結社が、その地域の近隣に語らいながら、戦力協力体制そのものの勤労奉仕以下、慰問袋までの奉仕に勤めたのである。
 この各種の戦争協力の奉仕活動の背景に、女性優位の教会・結社における宗教実践があったのである。逆説的にいえば、天理教に代表されるような教派神道に女性が自ら進んで入信ないし接近することは、戦争協力という大義名分を持つため、体制の側からも、ある意味では、歓迎・保証された宗教実践でもあった。かかる体制的保証が一方であるからこそ、天理教は夥しい数の教会・結社の信仰網を函館地域にくまなく張りめぐらすことが可能であったのではなかろうか。
 戦時下において、「体制宗教」として身を挺したのは、何も天理教に限るものではなく、教会数において天理教につぐ金光教も同じであった。既述したように、金光教の全道的な布教活動も、昭和に入り、教会を10か所に新設するなど順調であった。戦局が難渋するにつれ、「信忠孝一本」のスローガンのもと、各教会の婦人会・青年会は活発な活動を展開した。昭和16年には、早くも「金光教報国会」を結成し、銃後を守る婦人たちは、愛国婦人会・国防婦人会の名のもと、例えば、出征兵士の見送り、英霊の出迎え、兵士の留守宅慰問、英霊宅の弔問などに余念がなかった(『金光教北海道布教百年史』、金光教北海道教師会)。
 以上、「新宗教」=教派神道の「体制宗教」としての活動の実相を眺めてきたが、最後に、キリスト教の昭和期における動向を見てみることにしよう。
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