通説編第3巻 第5編 「大函館」その光と影 |
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第3章 戦時体制下の函館 国民精神総動員運動 |
国民精神総動員運動 P1112−P1113 昭和12年7月、北京郊外の慮溝橋での偶発的な衝突に端を発して日中戦争が勃発した。第1次近衛文磨内閣はさっそく政界、財界、マスコミ代表の協力を取り付け、治安維持の強化を指示する一方、軍需産業優先の経済統制のために「軍需工業動員法(大正7年公布)の適用に関する法律」「臨時資金調整法」「輸出入品等臨時措置法」を成立させ、国民に対しては〈挙国一致・尽忠報国・堅忍持久〉を目標とする国民精神総動員実施要綱を閣議決定して運動を開始した。当初は日本精神や敬神思想の発揚が主眼で、10月には国民精神総動員運動中央連盟結成式が行われ、「首相も獅子吼」(同年10月13日付「函日」)と報じられた。道府県単位で地方実行委員会が設けられ、さっそく開かれた北海道の委員会には坂本函館市長も委員として出席している。全国的にこの運動のための各種強調週間が設けられ、連盟結成に合わせて実施された強調週間には、「時局生活の日」「出征兵士への感謝の日」などが設定され、北海道では函館市の小学生も参加して「出征した父と私の覚悟」「戦地の兵隊さんへ小学生の感謝の言葉」などがラジオ放送されるなど、新聞雑誌ラジオはこぞってこの運動に協力した。 日中戦争が始まると「函館市公報」(大正11年4月に「函館区公報」として創刊され、市制施行後「函館市公報」となる)にも戦争関係の記事が出てくる(表3−1)。
題字下に国民精神総動員の三大スローガンが載るようになるが、戦争が長期化したことによって市公報には総動員連動に関する事項は載らなくなり、14年には市公報題字下の総動員スローガンが「国民みな戦士」「進め長期建設へ」と代わっている。 |
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