通説編第3巻 第5編 「大函館」その光と影 |
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第3章 戦時体制下の函館 函館市の町会設置 |
函館市の町会設置 P1117−P1119 函館市ではこれまで町会は設置されておらず、衛生火防組合が本来業務のかたわら町会が行う業務も担当していた状態であったが、戦争の長期化により経済統制に係る関係公共事務が増加したので、昭和14年11月、斎藤市長は、函館市町会設置規程を市会議員協議会に提案した。「函館市民は自治の精神に基き隣保協和して公共事務を幇助し町内共同の福祉増進を図る」(第1条)とした14か条からなる同規程は、12月1日に57町会区域と共に告示されたが、衛生火防組合はそのままで、町会役員も衛生火防組合の役員がそのまま兼務するというもので、ほぼ旧態のままであった。このため『斎藤與一郎伝』では、市会議員が議論に終始しその時はついに成立せず、「旧衛生火防組合がその侭町会と改名したのがオチであった」と記されている。しかし、『函館衛生火防連合会史』ではほぼ次の通りの経過で町会規程が制定されたと述べられている。昭和十四年十月二十三日組合長会議で、時局多端の際一般行政事務が繁多になっているので衛生火防組合の本来業務以外については、別個の町会または自治組合を組織することを決定、自治組合連合会設置も決定したところ、函館市も国策遂行、銃後奉公の強化、その他非常時市政協力機関として町会設置の必要を痛感、町会設置規程(14年12月1日函館市告示第297号)を制定公布したので、さきに設置の自治組合すなわち町会は、ここに法的根拠をもつようになった。 こうして全市57町会連合会は12月23日結成された。連合会では設置規程に基づき、26日連合会規約の認可申請を行ったが、同日付認可の指令があった。翌15年1月13日町会連合会結成式が行われた。さらに連合会は「町会設置について」を発表して広く一般の理解と協力を求めたとまで記されている。なお、衛生火防組合連合会というのは、衛生組合が明治23年7月(北海道庁衛生組合設置に関する訓令第57号)に設けられ、火災予防組合が明治43年11月(北海道庁令第109号火災予防組合規則)に設けられ、それぞれ連合会組織を作っていたものが、昭和8年5月に両連合会の会長を1人に一本化し実質的に一本化している組織であった。 昭和15年7月第2次近衛内閣が成立すると、内務省は9月に訓令で部落会町内会等整備要領を発して「隣保団結の精神に基き市町村内住民を組織結合万民翼賛」を本旨とする地方の末端組織の整備を指示した。これを受けて北海道庁は11月20日庁令第111号で町内会部落会規則を施行した。この規則の付則で「衛生組合設置規程、火災予防組合規則及森林防火組合設置規則ハ之ヲ廃止ス」となったので、函館市でも衛生組合、火災予防組合を解散し、既設の町会も廃止して新たな町会に一本化することとなり、11月25日に「隣保団結して地方共同の任務を遂行し住民生活の向上を図る」(第2条)ことを目的とする17か条の函館市町会及部落会規程(函館市告示第262号)が制定され、翌12月1日には区域も指定され、58町会3部落会(表3−2)が発足した。第5条には、その目的達成のために行う事業が次のように示されている。(1)敬神祭祀に関する事項、(2)教化に関する事項、(3)兵事に関する事項、(4)産業経済に関する事項、(5)道路交通に関する事項、(6)警防に関する事項、(7)保健衛生に関する事項、(8)社会施設に関する事項、(9)納税に関する事項、(10)貯蓄に関する事項、(11)生活刷新に関する事項、(12)慶弔、慰安其の他親睦に関する事項、(13)其の他公共事務の補助及住民生活の向上に関する事項の13項目で、市民生活全般にわたっている。 町会には、おおむね100戸を標準として部(隣保部)を設け、10戸を標準として班(隣保斑)を設けて、町会長副町会長各1人、部には部長1人、班には班長1人と月番1人が置かれた。
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