通説編第3巻 第5編 「大函館」その光と影


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第2章 20万都市への飛躍とその現実

第9節 労働運動の興隆と衰退
7 戦時下の反戦運動と取り締まり

函館地方文化事件

小山宗左牧師の検挙と獄死

思想犯南方諸島へ

思想犯南方諸島へ   P1109

 太平洋戦争の末期、「思想犯」前歴者が南方の強制収容所に送り込まれた。昭和19年7月、団員30人、内北海道から5人を含む「第一次義勇団」が結成され、北ボルネオ島に食糧増産、資源開発を目的として送り込まれた。第2次は16人、第3次は募集はなされたが、苛烈する戦火によって中止となった。対象者とその意図するところは「非転向者ト雖モ再起ノオソレ顕著ナラザル者及準転向者中ソノママ国内ニ居住セシムルコトヲ不適当ト認ムル者南方諸島ニ強制収容スル」(閣議決定)ことであった。
 この「第一次」の中に函館出身の大和庄祐がいる。大和は、戦局が厳しくなる中で、特高や憲兵隊につきまとわれ、保護監察所で北ボルネオの農場開拓員の募集が行われたので申し出たら、採用されたと「私の半生」(『不屈 北海道版』第23号)の中で述べ、この動員の本質を、南方での食糧不足の解消と国内での反戦運動を押さえるために、治安維持法違反などで保護監察にある者を「南方の未開地に送りこむという一石二鳥の方針の試み」(同上)であると見ている。なお、大和は戦後、生還したが半数以上の者が戦死および病死している(『不屈二十年の歩み』)。
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