通説編第3巻 第5編 「大函館」その光と影 |
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第2章 20万都市への飛躍とその現実 第9節 労働運動の興隆と衰退 小山宗左牧師の検挙と獄死 |
小山宗左牧師の検挙と獄死 P1108−P1109 戦争が拡大するにつれて、政治・思想犯で検挙された社会・共産主義者や自由主義者に止まらないで、弾庄の対象は拡大し、宗教家にまで及んだ。昭和16年12月8日に太平洋戦争が開始されたが、年明早々の17年1月、函館の日本基督教団(ホーリネス派)の青年牧師補小山宗祐(当時26歳)は、隣組の輪番制で戦勝祈願のために護国神社に参拝するのを拒否したという理由で訴えられ、「不敬・造言飛語・出版法違反等の嫌疑」(特高資料)を以て函館憲兵隊に検挙された。同年3月末、第1回公判が開かれた翌朝、未決監のまま獄中で自殺するという痛ましい事件が発生した。当時、毎月1日の「興亜奉公日」(同14年9月1日制定)に、国民は戦勝祈願のために護国神社に参拝させられていた。小山牧師補は大阪出身で、16年夏に聖職者として来函したが、1年を経ない内に不帰の人となった。この事件は当時公表されることはなかった。また北海道の基督教団においても、同17年5月に開催された日本基督教団第一部第1回北海道中会で「大東亜戦争勃発につき十二月十四日の翌日に於て愛国精神高調の礼拝を守るよう部内教会に通牒を発し、併せて報国隊結成を促すことに決す」ことを決議しているほどである(日本基督教会北海道中會歴史編纂委員會編『日本基督教會北海道中會記録 一九三〇年−一九六一年』)。 さらに、小山牧師の一件は半年後の昭和17年6月26日、全国で日本基督教会第六部(日本聖教会)、第九部(きよめ教会)−この二部会はホーリネス系−の牧師・信者など96名が、国体の否定等を理由に治安維持法違反容疑で一斉検挙を受けたが、その引き金となったと事件と言われている(坂本幸四郎『涙の谷を過ぎるとも 小山宗祐牧師補の獄中自殺』)。函館ではこの事件において松原繁牧師が検挙されたが、同年10月5日釈放されている。 |
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