通説編第3巻 第5編 「大函館」その光と影 |
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第2章 20万都市への飛躍とその現実 第6節 民衆に浸透する教育 1 大正デモクラシーと教育 1 初等教育 教員研修の組織化 |
教員研修の組織化 P637−P638 大正期は、先に触れた「八大教育主張講演会」の盛会に象徴されるような教員の研修熱が全国的に高まった時期であった。大正6年における全国の夏期講習会の状況を調査した文部省の資料によれば、公設私設の講習会数は1100、参加教員数は15万人であったという(官報第1700号)。本道でも北海道教育会や函館教育会など公私の諸団体による講習会などの研修が組織されており、先に挙げた函館師範学校付属小学校の研究会もその1つである。こうした校外における研修機会の拡大に呼応して、学校内でも、研修組織の整備が図られ、研修が日常化することになる。函館区内の小学校の研修の状況をみよう。区内の校内研修組織としては、教科別の研修、学年別研修、他級参観、交換教授、研究授業、批評会、講演、学校長の視察指示、職員会などがみられる。こうした研修を月間や週間に位置付けていく。大正3年の弥生尋常高等小学校の研修は、第一火曜研究会、第三火曜研究会、毎週の研究会に分けられる。第一火曜の研修は「一回に二人位づつ日頃の研究の結果を発表致し、謹聴の後批評等するもの」、第三火曜は「実際的方面より取材して、約一五分を限りに」開かれると言う。週1回の研修は「毎週一回研究授業を」なし「授業後批評会を開く」ものである。同じ時期に住吉尋常高等小学校では教科別、学年別の研修を組織していた。縦の部会、横の部会といわれるものである(『函館教育』第202号)。 大正6年には校内研修の組織は、より系統的に整えられる。宝小学校では、研修を研究教授、研究会、打合会、職員会および他校参観の5種としている。研究教授は甲乙2種設定し、甲種は「全校の職員が出席して参観と批評とをするもの」で「毎月一回」、乙種は「一定の学年よりなる研究教授」で、「尋常科の第一学年より同第三学年までを第一部とし同第四学年より同第六学年までを第二部とし高等科は全部第三部と」し、「各部毎週一回」、各部の衝突を避けて定めている。研究教授は実地の方面であるが、その他に研究会があり、「其の動機は新思潮を十分に理解するにあった」といわれるように新教育の研究がきっかけをなしていたことが分かる。方法は主として「講演」であり「講演者は順番を定め」てあるという。さらに打合会があり、最後に職員会が研修組織として挙げられる。これは「学校全体の統一を保持するため又は種々の研究事項を議するために設けて」あり、「定期と臨時に分かれ」「定期は毎月第二木曜日、臨時は必要ある時に開く」ことになっていた。これらの校内研修に加えて他校参観が設けられており、「他校の教授訓練の実際と諸種の施設事項を参考に供するため」で、「毎週に二名の職員が一日これに当た」り、これも順番で、その報告は研究会の席で行われるという(『函館教育』第209号)。 |
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