通説編第3巻 第5編 「大函館」その光と影 |
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第1章 露両漁業基地の幕開け 伸びる実質的就学率 |
伸びる実質的就学率 P200−P202 北海道の関門として、東北北海道有数の都市として、函館は、その学校の規模が、全国の主要都市と並ぶものであった。こうした特質に関連して、その学校行事、管理・運営組織、宿直制、教授組織における二部教授、教員団体などが、全国的な動きに対応しており、道内では各方面で先行していることが知られるのである。このような諸特質の基礎をなすのが、児童の就学状況であるといえるが、就学の実態は、単に名目的な就学率のみならず、出席状況をも考慮に入れた通学率によって、その実質を示す方法が採用されてきている(『日本近代教育百年史』第4巻)。文部省も、就学率が90パーセントを超えた明治30年代には、出席率を考慮に入れ、実質的な就学率の向上を政策課題としてとらえるようになる、といわれる(仲新監修前掲書)。 ここで、明治末期の函館について、実質的な就学率である通学率を検討しておきたい。通学率は、児童日々出席平均数を学齢児童数で除して得られる数値である。函館区の通学率は、表1−60のとおりである。函館においても、名目的な就学率のみならず、実質的な就学率が、順調な伸びを示しているのである。
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