通説編第3巻 第5編 「大函館」その光と影 |
|
第1章 露両漁業基地の幕開け 新教育の機運 |
新教育の機運 P192 この時期の教授の実況は、「教則→教授細目→教案」という教育内容の国家統制のための、全国的な仕組みとともに、教案そのものも、形式化による一方的な注入に堕していたことが明らかである。こうした形式化を打破し、児童の自発性や活動を重視する新しい教授法の提唱と実践も、この時期にその動きを始めることとなっている。この時期の北海道でも、新教育への動きが見られる。明治37年の『北海道教育雑誌』第143号の論説は、「活動的人物の養成」と題して、教育目的および教育方法の両面から教育のあるべき方向を説いている。それによると、活動を好むのは児童の天性であり、活動は将来の児童をして事業を計画させ、これを成功させる要素となり、道徳的品性を育てるもとになるものであるとする。そこで教授を施すには、児童の活動を妨げることなく、むしろこれを利用して、自動的発達を遂げさせるようにすべきであり、自動を抑制して活動を減却させる教授法は、児童を受動的人物とし、ついには現世の進歩に後れさせることになるとする。活動的人物を養成するためには、小学校において、自動的教授を施す必要があるとして、各教科にわたって具体的に教授法を提示している。函館における大正期の新教育の実践を予告する感のあるものである。 |
「函館市史」トップ(総目次) | 通説編第3巻第5編目次 | 前へ | 次へ |