通説編第3巻 第5編 「大函館」その光と影 |
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第1章 露両漁業基地の幕開け 学校の管理・運営の組織 |
学校の管理・運営の組織 P196−P198 明治後期には、全国的に単級学校から多級学校への移行が進み、児童数および教員数の増加に伴なって、学校の管理・運営の組織が整えられることとなった。函館区の学校長は、この時期には区内全体として会議をもち、協議の上で学校の管理・運営にあたったことが学校日誌から明らかである。これまで何度も取り上げた若松小学校の「日誌」は、区役所楼上における校長会議への学校長の出席を記録し、協議事項を詳細に書き残している。規模の拡大した学校で、職員間の意思の疎通や統一をはかるための職員会議の定着も全国的にみられる事象であるが、函館でも、学校の管理・運営上に重要な役割を果たしていることが、学校日誌の記録によって知られる。若松小学校の同37年7月9日の記録に「午前十時半ヨリ第三回職員会議ヲ開ク問題左ノ如シ」として教授、訓練および管理に関する問題5項目が掲げられている。その中には、教授上の問題として教授細目の適否、教授細目付録の改正など、本来、形式上は校長の権限に属する事項についての議論があり、この問題が学校教育の本質的な機能に関わる教育課程のそれであるだけに、職員会議の重要な位置を物語っているといえる。また当日は、最初に、校長が、議題の全体について「談話」を行っており、校長が教育上の重要問題について諮問し、職員会議がこれに答えるという形で会議が持たれているようである。諮問機関としての職員会議であったといえよう。これらは明治36年制定の「職員会規程」によって運営されているようである。規程によると、職員会は「公務の整理及び教育の改良進歩を図るを以て目的と」し(第1条)、「臨時開会するもの」で、「時日は其都度学校長之を定」め(第2条)、「教授上に関する事項」や「管理上に関する事項」「訓練上に関する事項」「前各項の外教育上必要と認むる事項」について協議研究すべきものとされている(第3条)。議案は「学校長之を発するものとす」とされているが、「職員中議案を提出せんとするときは書面を以て学校長に申し出ずべし」と職員の提案も認められる仕組みとなっている(第4条)。「会長は学校長之に当るもの」とされ(第5条)、「職員会協議の結果は更に学校長之を校規或は通牒簿に記して施行を発表するもの」とされる。ただ、「職員会の決議を其侭施行せざることあるべし」という規定もあるので、最終的な決定は校長が行う仕組みといえる(『函館教育協会雑誌』第164号)。 学校規模の拡大に伴って増大していく「校務」を、職員間で分担処理させる校務分掌の組織が整えられるようになるのも、明治20年代末から30年代初期のことである。本来、校長の校務整理権として校長に属するものであったが、学校規模の拡大に伴い、校長ひとりで処理することが難しくなったために採られた措置である。 函館でも在学児童の増大による学校規模の拡大を反映して校務処理の分業組織が出現している。若松尋常高等小学校の「校務分掌規程」(明治36年制定)によると、「校務を整理せんが為め左の係りを置く」として、「教務係」「庶務係」「表簿係」「校具係」「会計係」「雑務係」(第1条)などが定められている。「係員は校長之を定むるものとす」(第2条)と、校長の指示命令によるものとなっている。規程によって各係の事務を挙げると表1−58のとおりである。複雑多岐にわたる校務の実態を示すものとなっている。 戦前戦後を通じて、日本の小学校教師が果たしてきた二重の職務といわれる直接的な教育活動と校務が、校規の中に、明確にその姿を現しているのである。
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