通説編第4巻 第6編 戦後の函館の歩み


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第1章 敗戦・占領、そして復興へ
第1節 連合国軍の函館進駐
3 外国人労働者の動向

戦時期の朝鮮人労働者

朝鮮人と中国人の強制連行

函館俘虜収容所

敗戦時の外国人労働者

敗戦と朝鮮人連盟函館支部の結成

朝鮮民族統一同盟と朝鮮人連盟中央総本部

統一同盟全道大会と朝鮮人連盟小樽支部

北海道朝鮮人援護局

函館地方朝鮮人連盟の結成と活動

朝鮮人の帰国問題と朝鮮人連盟の推移

食糧危機と配給事情

函館の闇市とその取締り

朝鮮人団体の抗議

統一同盟全道大会と朝鮮人連盟小樽支部   P79−P80

 その後、10月31日午前11時、札幌劇場で朝鮮民族統一同盟の全道大会が開催され、道内各地から1200名が参加した。この席上で、統一同盟の準備委員代表である安先浩から同盟の綱領・宣言・規約が発表され、満場一致で可決した。そして、「同胞の帰国促進、祖国米の移入、興生会の接収、労働条件の徹底的改善および生産協力、強制移入労働者を酷使した日本資本家に対する正当なる慰労金要求、独立国民としての態度保持などの案件を可決し、朝鮮独立万歳を叫んで散会した」(昭和20年11月1日付け「道新」)。
 全道大会の2日目は11月1日、札幌市の東部会館で開かれた。「帰国手当二〇〇〇円以上の要求、休業手当一日三円の支給、被打殺者に対し一〇万円・被傷病死者に対し三万円・その他手当支給、生命の安全を保証する坑内保安施設の完備、物価騰貴下において生活を維持するため諸支給額の五倍増額」といった要求事項を決議し、安先浩以下の執行委員代表が道内の各炭鉱を訪問し、目的の貫徹に努めようとしたのである(昭和20年11月3日付け「道新」)。
 このような要求事項からみて、統一同盟は、炭鉱労働者がほとんどを占める北海道という特殊な地域的条件を背景として設立された組織であるといえよう。実際に統一同盟は、全道大会での決議にもとづいて道内の炭鉱・鉱山でオルグ活動をおこなっている(桑原真人『近代北海道史研究序説』)。
 ところで10月31日、小樽市花園町の同支部会館において「在留朝鮮人の生活安定と帰還鮮人の便宜斡旋ならびに秩序の維持を重要使命とする」在日本朝鮮人連盟小樽支部の結成式がおこなわれた。このことを報じた11月3日付けの「 北海道新聞」には、小樽支部の宣言と綱領が掲載されているが、これは連盟中央総本部とまったく同じものであり、小樽支部は紛れもなく朝鮮人連盟の正式の支部と確認できる。
 このように20年10月下旬の段階では、道内に朝鮮民族統一同盟と朝鮮人連盟小樽支部という2つの団体が存在し、ともに祖国朝鮮への帰還斡旋や生活安定のための活動を開始していたのである。だがこうした状況は、11月に入って統一同盟が内部分裂するという事態に遭遇し、結果的に解消された。その原因は、統一同盟内部における旧協和会・興生会系の幹部と、彼らに対する批判的勢力との対立に起因するものであった(昭和20年11月9日付け「道新」)。そして、最初から統一同盟の結成に向けて努力してきた本部執行委員長の安先浩が「進駐軍の命令」で帰鮮し、執行委員の金輿坤が後任に推されたのを契機として、東京の在日本朝鮮人連盟総本部と連絡し、同連盟の一翼に参加すると共に、統一同盟を発展的に解消し、朝鮮人連盟北海道本部として新たな出発をすることになった(昭和20年11月20日付け「道新」)。 しかし、この統一同盟の朝鮮人連盟北海道本部への移行というコースは最終的に否定され、朝鮮人連盟小樽支部が北海道本部に昇格するのである(昭和20年12月7日付け「道新」)。
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