通説編第4巻 第6編 戦後の函館の歩み


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第1章 敗戦・占領、そして復興へ
第1節 連合国軍の函館進駐
3 外国人労働者の動向

戦時期の朝鮮人労働者

朝鮮人と中国人の強制連行

函館俘虜収容所

敗戦時の外国人労働者

敗戦と朝鮮人連盟函館支部の結成

朝鮮民族統一同盟と朝鮮人連盟中央総本部

統一同盟全道大会と朝鮮人連盟小樽支部

北海道朝鮮人援護局

函館地方朝鮮人連盟の結成と活動

朝鮮人の帰国問題と朝鮮人連盟の推移

食糧危機と配給事情

函館の闇市とその取締り

朝鮮人団体の抗議

戦時期の朝鮮人労働者   P71−P73

 昭和20年8月15日の敗戦当時、函館市域に在住していた朝鮮人や中国人などの外国人労働者を調査した正確なデータはない。ただ、朝鮮人労働者に関していえば、戦時下の労働力不足を補うために、中国や植民地の朝鮮から「働き口」があるなどと、日本へ強制的に連れてこられて、炭鉱・鉱山や土木工事や造船現場などで働かせられた人たちがいた。その「強制連行」が始まる昭和14年以前の状況はある程度判明する。当時の函館の新聞には、「現在市内に居住する七百人の朝鮮人」(昭和11年6月11日付け「函毎」)、「函館市内に居住する鮮人は約七百人で、この内三百五十人の女は大部分売笑婦」(昭和13年1月8日付け「函新」)、「市内在住の半島人は現在七百数十名に達し、そのうち古物問屋を営むものは十数名あり、これに付随する買出人及び手助け人八十数名であるが、このうち五十数名は古物商の鑑札なくして空物買ひで生活している」(昭和14年3月11日付け「函日」)といった報道がなされている。また、札幌の「北海タイムス」によれば、昭和12年の北海道在住朝鮮人は1万1757名であるが、このうち函館市在住の朝鮮人は678名で全体の5.8パーセントを占めている(昭和14年10月7日付け「北海タイムス」)。これらの記事から推測すれば、昭和14年現在では約700名程度が函館市内に居住していたと思われる。そして、これら函館在住の朝鮮人は、田村春源を代表とする函館新興共済会という自主的組織を結成していたのである。
 しかし、同14年10月以降、朝鮮からの強制連行の開始に相前後して、政府の方針で日本在住の朝鮮人は協和会という組織に加入することになり、この函館新興共済会も、「函館在住人協和会」もしくは「函館協和会」として再編されたと報じられている(昭和14年10月8日付け「函日」・「函新」)。だが、実際に函館協和会が結成されたのは、翌15年1月16日であった。このことを翌1月17日の「函館日日新聞」が、「半島人に日本精神/赤誠の旗印に函館協和会生る」の見出しで報じている。それによれば、函館協和会の会長は織田函館署署長、副会長は川南同社会課長・牛込渡島支庁総務課長、幹事長は函館署の谷岡特高主任といった顔ぶれであり、幹事にようやく「半島人側有志」が加わっているに過ぎなかった。函館協和会の発会式の席上、「半島人功労者」として魏春源・金武吉の両人に金一封が贈呈されているが、「魏春源」は、おそらく函館新興共済会代表の「田村春源」と同一人物と思われる。なお、北海道庁社会課に事務局を置き、道庁長官を会長とする北海道協和会が設立されたのは、これより早く前年の9月12日であった。また、この15年1月段階の函館の朝鮮人は「六百余名の半島人」と記されているように(昭和15年1月17日付け「函日」)、それ以前に較べて100名程度減少している(『函館市史』通説編第3巻)。
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