通説編第4巻 第6編 戦後の函館の歩み


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第1章 敗戦・占領、そして復興へ
第1節 連合国軍の函館進駐
3 外国人労働者の動向

戦時期の朝鮮人労働者

朝鮮人と中国人の強制連行

函館俘虜収容所

敗戦時の外国人労働者

敗戦と朝鮮人連盟函館支部の結成

朝鮮民族統一同盟と朝鮮人連盟中央総本部

統一同盟全道大会と朝鮮人連盟小樽支部

北海道朝鮮人援護局

函館地方朝鮮人連盟の結成と活動

朝鮮人の帰国問題と朝鮮人連盟の推移

食糧危機と配給事情

函館の闇市とその取締り

朝鮮人団体の抗議

朝鮮民族統一同盟と朝鮮人連盟中央総本部   P76−P79

 函館市で朝鮮人大会が開かれた2日後の10月16日、札幌で「朝鮮民族統一同盟」という組織が結成された。この点について、10月23日付けの「北海道新聞」は「新社会の建設へ 朝鮮民族統一同盟組織」との見出しで次のように報じている。

 先に政治思想犯釈放で札幌刑務所を出所した安先浩は全道在留の朝鮮人に呼びかけ朝鮮独立に対する朝鮮民族の統一と新社会の建設を期すべく去る十六日朝鮮民族統一同盟の組織本部を札幌市北三条西三丁目に置き左の如き綱領を発表したが朝鮮より米を移入して道在留の朝鮮人に配給する計画を進めてゐる
 一、われらは朝鮮民族の統一的団結を期す
 二、われらは日本資本家の不当なる迫害と搾取を除去、勤労階級の利益増進を期す
 三、われらは独立国民たる文化的素養の昂揚を期す
 四、われらは朝鮮社会建設を先進国に追付追超を期す
 五、われらは重要産業の国家管理を期す
 六、土地制度の徹底的改革を期す
 七、国際的平和及び文化的に貢献することを期す
 八、われらは圧迫と搾取なき共存世界の完遂を期す

 このように、10月16日、札幌刑務所を釈放されたばかりの安光浩を指導者とする「朝鮮民族統一同盟」が札幌で組織され、以上のような綱領が発表されている。この引用記事は函館市内版であるため、見出しに続く記事が比較的簡略化されている。札幌で発行された版によれば、統一同盟の当面の「実践運動」として、「全道的に発生している朝鮮人の騒擾事件解決に当たるとともに朝鮮より米を搬入して道在留の朝鮮人に配給する計画を進めている」ことが記されている。
 ちょうどこの時、東京の日比谷公会堂では、10月15・16日の両日にわたって、これまで東京や大阪を中心に結成されていた朝鮮人の地方組織を、統合・一本化する組織の実現を目指した在日本朝鮮人連盟中央総本部の結成大会が開かれていた。そして、「在日本朝鮮人連盟を結成すること」、「在日朝鮮民族三百万は三千万民族の総意によって樹立され祖国の民主政府を支持し、建国の偉業につくすこと」を満場一致で可決している。その後、準備委員会が作成した「大会宣言」と「綱領」などを採択しているが、つぎに綱領の全文を掲げておこう。

一、我々は新朝鮮建設に献身的努力を期する。
一、我々は世界平和の恒久維持を期する。
一、我々は在日同胞の生活安定を期する。
一、我々は帰国同胞の便宜と秩序を期する。
一、我々は日本国民との互譲友誼を期する。
一、我々は目的達成のために大同団結を期する。

 この綱領が採択される過程では、草案で3番目にあった「我々は日本国民との互譲友誼を期する」という項目が5番目となり、逆に4番目にあった「我々は在日同胞の生活安定を期する」という項目が3番目に格上げされている。このことは、当時の朝鮮人連盟の執行部が、日本人との友好関係を重視する当初の姿勢を転換し、在日朝鮮人の生活安定を重んじるようになったことの現れであった(崔永鎬「戦後の在日朝鮮人コミュニティにおける民族主義運動研究」)。朝鮮人連盟結成大会は、このようにして2日間の日程を終え、閉会した。その後ただちに第1回中央委員会が開かれ、朝鮮の統一政府樹立促進のための大同団結、「朝連」(朝鮮人連盟)を対外・対内的に在日同胞の公的機関として認めさせること、在日朝鮮人の引揚げ援護対策として下関・博多・仙崎に出張所を開設すること、引揚者の帰国旅費や食糧・未払い賃金を要求すること、外国人として主食・煙草・酒などの特配を要求することなどを決定した(朴慶植「解放直後の在日朝鮮人運動」『在日朝鮮人史研究』創刊号)。
 以上のように、東京で在日本朝鮮人連盟中央総本部が結成されたのとほぼ同時に、札幌では朝鮮民族統一同盟という組織が結成されている。この両者は、一見して本部と支部の関係のようにも考えられるが、両者の綱領を比較すれば明らかなように全く同じではない。支部が本部と異なった綱領を持つことはあり得ないから、札幌の統一同盟は別個の組織として出発したのであろう。
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