通説編第4巻 第6編 戦後の函館の歩み


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第1章 敗戦・占領、そして復興へ
第1節 連合国軍の函館進駐
3 外国人労働者の動向

戦時期の朝鮮人労働者

朝鮮人と中国人の強制連行

函館俘虜収容所

敗戦時の外国人労働者

敗戦と朝鮮人連盟函館支部の結成

朝鮮民族統一同盟と朝鮮人連盟中央総本部

統一同盟全道大会と朝鮮人連盟小樽支部

北海道朝鮮人援護局

函館地方朝鮮人連盟の結成と活動

朝鮮人の帰国問題と朝鮮人連盟の推移

食糧危機と配給事情

函館の闇市とその取締り

朝鮮人団体の抗議

函館俘虜収容所   P74

 この他に、昭和17年12月、函館市台町27番地の函館検疫所構内に函館俘虜収容所が開設され、アメリカ人・イギリス人・オランダ人・オーストラリア人などの白人俘虜約800名が収容されていた。収容所は昭和19年4月現在では、本所(函館市)のほかに第1分所(室蘭市)と第1派遣所(上磯町)があった。20年3月に第2派遣所(函館市)が開設されたが、6月に第1・第2派遣所はいずれも閉鎖され、本所は美唄町の三井美唄炭鉱に、第1分所は芦別町の三井芦別炭鉱にそれぞれ移転し、新たに設置された第2分所は赤平町の住友鉱業赤平鉱業所に置かれた。以後も第3分所が歌志内町の北炭空知鉱業所に、士官を収容する第4分所が芦別町に設置された。このように俘虜収容所全体が内陸の石狩炭田地域に移転したが、函館俘虜収容所という名称は変わらず、収容所の指揮系統も函館市に残されていた。収容された俘虜の数は、昭和18年度末が1360名、19年度末が912名、20年の敗戦時は1591名であった(『函館市史』通説編第3巻)。

 

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