通説編第3巻 第5編 「大函館」その光と影


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第2章 20万都市への飛躍とその現実

第7節 都市の生活と新しい文化

2 大火と都市形成

大火と都市景観

明治40年の大火概況

大火後の復旧事業

火災予防組合の設置

火防設備期成同盟会の建議

火防調査委員会の建議

大正10年の大火概況

火防設備実行会と防火線

火防の進展と都市計画

昭和9年の大火概況

昭和9年の大火の惨状

防火建築の検証

大火後の復興事業

大火史から見た地域課題

慰霊祭と慰霊堂

※ 本文中に明治40年大火の出火地が「東川町27番地」とあったが誤植のため訂正

明治40年の大火概況   P717−P720

表2−176 明治40年の大火概況
出火時間 8月25日午後10時20分
出火場所 函館区東川町217番地
焼失区域 40余万坪
焼失戸数 8,977戸
罷災人口 32,428人
損害総額 31,148,337円
死者 8人
鎮火時間 8月26日午前9時
『函館大火史』より作成
 明治40年8月25日午後10時20分東川町217番地より出火した。出火時は南東の風で風速10メートルの強風であったが、しだいに風力が強くなり、翌26日午前1時頃には16メートルの暴風となった。しかも出火場所付近は、家屋が租造のうえ密集していたため四方に延焼し焼失区域を拡大していった。さらにこの時期は、不幸にも水源が枯渇し日々の用水にも欠乏していたため消火栓の効力が少なく、警察官や消防組員等が鋭意防御に尽力しても容易に消化活動がすすまなかったのである。33か町8977戸(区役所調べ1万2390戸)が焼失し、その損害は実に3114万8337円にのぼった。焼死者8名、負傷者1000名を出してこの大火は翌26日午前9時頃にやっと鎮火した(『函館大火史』)。
 この大火の様子を当時の新聞は、「丁度火事の當日は畜産共進會やら競馬やらで函館全市近来無比の大賑わひの最中で、中にも競馬に關係ある函館資産家の多数は勝祝ひやら負祝ひやらで各料理店とも笛や太鼓の大陽氣な眞最中、ソレ火事だといふが早いか今の時まで臥牛山下の平穏無事な陽氣な天地は、一瞬時にして忽ち阿鼻叫喚の焦熱地獄を演出して、時間から云へば僅かに三四時間ならぬ間に日本五港の一たる函館港を全滅に近きまで焼き盡した。今度の火事は實に安政の地震の時に江戸市中を燒き沸つたといふ江戸大火以來の大火かと思われます」(明治40年8月30日付「北タイ」)と伝えている。

図2−18 明治40年大火の焼失区域(改正函館港全図に記載)

明治40年大火直後の函館
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