通説編第3巻 第5編 「大函館」その光と影


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第2章 20万都市への飛躍とその現実

第7節 都市の生活と新しい文化

2 大火と都市形成

大火と都市景観

明治40年の大火概況

大火後の復旧事業

火災予防組合の設置

火防設備期成同盟会の建議

火防調査委員会の建議

大正10年の大火概況

火防設備実行会と防火線

火防の進展と都市計画

昭和9年の大火概況

昭和9年の大火の惨状

防火建築の検証

大火後の復興事業

大火史から見た地域課題

慰霊祭と慰霊堂

大火と都市景観   P717−P718

 函館の都市景観は、数度の大火の影響により街路や建築物が変容している。つまり、二十間坂より以西の地区は、明治11年、12年の大火後の街区改正によってできた都市形態で、建物はこの地区が明治40年の大火で被災しているため、それ以降の時期に建設されたものである。なお同地区は、歴史的環境を色濃く残しているところから昭和63年9月16日に「歴史的景観地域」に指定され、現在では函館市都市景観形成地域として継承されている。国指定重要文化財・旧函館区公会堂や函館ハリストス正教会などがこの地区に位置している。
 また、十字街から新川町にかけてのグリーンベルトに代表される街路は、昭和9年の大火後の復興事業によって形成されたもので、これは戦前における地方都市の都市計画が実施された数少ない事例である。なおこの地区の建物は、大正10年の大火後に建設された耐火構造の建物が一部残っている他は昭和9年以降のものである。このように函館の都市景観の特徴は、大火の被災範囲が東へ移行するのと併行しながらも都市景観が帯状に時間差を有して推移していることにある。

現在の二十間坂

現在の基坂

現在の銀座通り

現在のグリーンベルト

図2−17 焼失区域と街路概略図
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