通説編第4巻 第6編 戦後の函館の歩み |
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第2章 高度経済成長期の函館 スルメ時代の終焉 |
スルメ時代の終焉 P400−P401 函館における昭和20年代がまさにスルメと共にあったといってもいい過ぎではなかろう。しかし、そのスルメ全盛の時代も20年代末になると各所で陰りをみせ始め、次第に瓦解へと向かっていったのである。その底流にはそれまでの繁栄を支えてきたイカの豊漁傾向における変調があった。道南地域におけるイカの漁獲量は昭和27年をピークに減少に転じ、とくに31年には大凶漁となり、以後低調な漁獲が続いていったからである(170頁参照)。このような漁獲量の変動は必然としてスルメの加工業にも深刻な影響を及ぼすことになり、とくに31年のイカ凶漁の際には加工業者の大半が開店休業に追い込まれていったと同時に、スルメの加工も80パーセント近い減産を余儀なくされたのである。市内加工業者におけるスルメの産出額は過去3か年(昭和28年から30年)の平均16億6800万円から一挙に3億6900万円まで大幅な減産を来たした(市農林水産部調べ)。昭和31年を境にスルメ加工業者の廃業やスルメ加工からの撤退が急速に進んでいくのである。同様に海産商界もとくに昭和28年から31年にかけて豊凶、輸出減、価格の暴騰・暴落などに翻弄されながら苦しい経営展開を強いられていくことになる。なかでも28年秋から29年春にかけて有力商社や老舗の海産商などがあいついで倒産・廃業に追い込まれる事態も発生した。さらに29年から31年にかけてあいついだ海産物取引所における仕手戦や投機行為が函館海産商の疲弊をさらに加速させていた。 それと共にスルメをめぐる市場環境も急激に流動化しつつあった。消費地においてはスルメの端売り(小売り)需要が急速に減退傾向にあったこと、しかも道南産スルメが青森産塩干スルメ(塩蔵したイカを干したもの)に劣勢な競争を強いられていたこと、スルメの用途も端売り向けから加工向けに大きくシフトしつつあったことなどが指摘され、輸出においても香港輸出市場における中国産(北朝鮮産)・韓国産スルメの台頭や台湾における輸入急減を受けてその環境が大きく劣化していたからである。函館においてはそうした状況のもとでスルメ一辺倒の体制からの脱却とイカの新たな製品開発が急速に追求されていくのであるが、そのなかでスルメの時代は昭和30年代なかばまでに終わりを告げ、新たな珍味の時代に急速に移行していくのである。 |
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