通説編第4巻 第6編 戦後の函館の歩み |
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第1章 敗戦・占領、そして復興へ 函館の闇市とその取締り |
函館の闇市とその取締り P88−P90 先に引用した「長官事務引継書」は、この時期における食糧危機に関連した「特異事件」として、(1)昭和20年11月の夕張郡角田村南学田集落の「供出米完納」事件(第1章第4節参照)、(2)昭和21年1月の函館市の闇市場取締に起因した暴力行為事件という2つの事件を挙げ、後者に関して次のように述べている。一月二十四日午後二時頃函館市ニ於ケル闇市場取締ヲ実施シタル処、半島人商人六、七十名ハ取締警察官ニ反抗シ暴行ヲ加ヘ、更ニ巡査派出所二カ所ヲ襲撃暴行ヲ敢行シタルニ対シ、警察力並ニ進駐軍兵力ヲ動員シ、之ガ鎮圧ニ当リタル結果、一般市民死者二名、重傷一名、暴徒側重傷八名、軽傷二十名、警察官側重軽傷二十名ヲ出シタル事件発生、目下取調中。 この記述から明らかなように、函館市の闇市場には多くの朝鮮人も関わっていた。昭和21年1月1日付け「北海道新聞」は、「これでよいのか」シリーズの第1回に函館市内の闇市場問題を取り上げて、「市民の生活を脅威」に陥れ、「混迷期を悪用し不当利益貪る」「函館の闇市場」の早期撲滅論を展開している。この記事によれば、市内松風町の闇市には、「主要食糧たる米、麦、雑穀類から更に新鮮な魚菜類をはじめ、果実や甘党垂涎の的である羊羹、飴、チョコレートまである。一方辛党向には清酒、ウイスキー、ブドウ酒等一切揃つている。おまけに衣類まであり、所詮紳商街では薬にしたくとも見受られない純綿、純毛の被服やゴム長靴、牛革の靴に至るまでずらり揃へて売つている」という有様であった。このような状況を目にして、着任したばかりの井上函館警察署長は「私は旧臘赴任して以来、この俗にいふ闇市場なるものの存在を静観して来たが、このまま存続させて置くことは国家のもつとも憂ふる処のインフレを助長させ、更に経済秩序を破壊させる恐るべき結果になるとの結論に到達した。よつて断呼取締ることに意を決したが、他都市の状況がどうであらうと、またどんな人間が介在していようとも、物資の不足に大衆が悩み抜いているのにつけ込んで暴利を貪らんとするものに容赦する必要は全然ない。徹底的に仮借なく検挙するであらう。現在までの調査では、ここで常習的に販売しているものが約四十名あり、このリストもあるので検挙といつても困難が伴ふことはない」と述べた。また井上署長は、この闇市の商人たちが、横流しした商品の売買に止まらず、最近では盗品販売にも手を染めていることを指摘し、闇市が犯罪の温床と化しつつある点にも注意を喚起しているという談話を寄せた。
闇市場の存在は悪性インフレを助長させ、市民生活に脅威をあたへているといふので、函館署では新年に入つてからこの一掃をめざし徹底的取締を断行しているが、二十四日午後二時三十分から実施した第五回一斉取締りで函館署防犯係員六名が市場へ乗込み暴利行為其他の点検を行ふや、物品を売さばいていた三十数名の朝鮮人は″函館署の取締は朝鮮人のみを対象とし公正に非ず″と憤慨し、取締官に喰つてかかり、そのうち十数名は二名の巡査を松風町通り、京屋呉服店跡に連れ込み殴打、頭部其他に傷を負はせたが、急報により署から井上署長以下外勤全員出動する一方、警備隊の後援をもとめ、暴行朝鮮人の鎮圧に努めたが、激昂した一団は容易に収まらず三々伍々となつて大森交番、函館駅前交番を襲撃、ガラス戸其他を破壊するなど暴行を続けるので、遂に警察官と朝鮮人間の大乱闘となり、函都一の繁華街松風町から若松町通り雑踏街を逃走するものを追跡、捕へては格闘を演じ、随所に血塗れ騒ぎを展開、街頭は一大修羅場と化し、一時間余に亘つて大混乱を極めた、この結果、警察官の負傷者四名(うち重傷者一名)、朝鮮人の負傷者六名(うち重傷者二名)を出し、暴れ廻つた朝鮮人三十数名は保護検束された。 |
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